26.意地悪☆イケメン

シャワーを浴びて着替えると、あたしはベッドにごろんと横になって枕を抱えた。
帰りのタクシーの中で、水野さん、美沙子さんとどんな話したのかな?
まさか、また誘われてたりしないよね?
あーあ、チャンスの女神様に後ろ髪がないって、ホントだな。
なんであたし、水野さんの誘い断っちゃったんだろ。
入賞したら、告白するって決めてたのに。
大前さんとも約束したのに。
どうしよう……。
悶々としていると、突然ケータイが鳴った。
あおむけに寝転んだまま液晶を確認すると。

えっ?、水野さん!?
なんで?
慌てて体を起こして、姿勢を正す。
その人のことを考えてたら、電話が来るって、ちょっとすごくない!?
ドキドキと胸を高鳴らせながら、通話ボタンを押す。

『はい」
『あ、かりんちゃん? もう家に着いてるよね? ごめん、まだ起きてた?』
『はい、部屋でくつろいでたところです。大丈夫ですよ』
うわー、すごくドキドキする!
『僕も今、美沙子さん送り届けて、家に戻ってきたところなんだけど……、かりんちゃんの声が聞きたくなってさ』
『えっ、そ、そうなんですか? ……嬉しいです』
うそーーっ!
水野さん、あたしの声が聞きたいだなんて……。
すっごく嬉しい!!
『さっき、話が途中になっちゃったけどさ、やっぱりまた別の日に僕だけでお祝いしてあげたいんだ。今日は何も用意してなかったし』
『え、そんな、気にしないで下さい。お気持ちだけで十分ですから!』
あっ、しまった!
またやっちゃった!!
さっき反省したばっかなのに、断っちゃダメじゃん!

でも、今度は、チャンスの女神様が猶予をくれた。

『うん……、いや、たださ、その、お祝いとかじゃなくてもさ、また二人で食事でもどうかな』
『あ、はい、喜んで!』
うわぁ、女神様、ありがとう!
『そう、よかった。じゃ、また連絡するよ。無事に帰れてるんならいいんだ。遅い時間に悪かったね』
『いえ、とんでもないです。あ、そうだ、あの……』
『ん? なに?』

どうしよう。
今って、チャンスじゃない?
思い切って、告白しちゃおうかな。
水野さん、また誘ってくれたし。大前さんにも約束したし。
今なら、女神様も応援してくれる気がする!
うん、そうよ! 言うなら、今しかない。
がんばれ、かりん!

『あ、あの、水野さん。あたし、えーっと』
落ち着いて。深呼吸して。急がなくていいから、ゆっくり……。
『今回、新人賞取れたこと、すごく嬉しかったんです。
でもそれって、もともと水野さんがご自分の夢の話をしてくれたのがきっかけだったんです。
それに、水野さん、いつもいろんな話をしてくれて、あたしすごく励まされて。
あと、それに、酔っ払いから助けてくれたり、舜をなぐってくれたりとかも、すごく嬉しかったし。
えっと、そのぅ、つまり、あの、なにが言いたいかというと、あたし、水野さんのことが……』
『あーーー、ストップ!』
『え?』
『あのさ、ごめん、かりんちゃん、今から会えないかな?』
『は?』
今からって……。
とっさに時計を見る。
12時50分。
真夜中だよ!?
『ごめん、遅いのはわかってるんだけど。車とばせば、20分で着くから。で、10分で帰るから、いいよね?」
なんだか、切羽詰まった様子の水野さんの言葉に、否とは言えず。
『え、あ、はい、わかりました……』
あたしは、うなずいた。
『じゃ、あとで』
それだけ言うと、水野さんは慌しく電話を切った。

呆然と、切れた電話を見つめる。
水野さんの勢いにおされてOKしちゃったけど……。
あぁぁぁぁっ!
ひゃー、ど、どうしよう! まずは着替えなくちゃ。
あと、メイクも!!
こんな、もう寝るだけっていうような格好、見せられないよ!
20分で着くって言ってたよね、間に合うかな?

でも……。
水野さんが来てくれる!
水野さんにまた会える!!
嬉しいっ!

あたしはたぶん、あたしの人生で最もすばやく、着替え、メイクし、髪を整えた……。

そして、30分後。
ピンポーン。
「はーい」
小走りにドアに駆け寄り、鍵を開けて水野さんを招き入れる。
「こんばんは。どうぞ」
「あ、すぐに帰るから、ここで」
ワンルームの部屋じゃ、玄関に入れば、部屋はすべて丸見えなんだけど、水野さんは靴を脱ごうとしなかった。
「夜遅くにごめん」
「いえ……」
ドキドキドキドキ……。
水野さんが、うちにいる。
ただそれだけで、なんだか首のあたりがくすぐったい気分。
まともに、水野さんの顔を見られないよ。

「えっと、さっきの電話の話なんだけどさ」
「あ、はい……」
そういえば、あたし、さっきの電話で水野さんに告白しようとしてたんだっけ。
水野さんがうちに来るっていうので頭がいっぱいで、すっかり忘れてたけど。
そんな大事なこと忘れちゃ、ダメじゃんね。
せっかく水野さん来てくれたんだし、今度こそ、ちゃんと自分の気持ち、伝えなきゃ。
あたしは、そう心に決め、顔を上げて水野さんの目を見つめた。

「前に、本郷部長と会ったあとタクシーで送ったときに、僕が何か言おうとして思い出せなくなったことがあったの、覚えてる?」
「あぁ、はい」
そういえばそんなことがあったっけ。
でも、なんでいまさらそんな話?
不思議に思ってると。
「あれ、思い出せなかったんじゃなくて、言うのをためらってただけなんだ」
「はぁ……」
どういうことだろ?
あたしは水野さんの真意がつかめなくて、あいまいに返事した。
「あのさ、かりんちゃん」
あたしの名を呼んで、水野さんはあたしをじっと見つめる。
なんだか、ピーンと空気が張り詰めた感じ。
あれ? なに? この雰囲気。
これって、もしかして……?
いや、水野さんがうちに来るって言った段階で、もしかしてって、ちらっとは思ったけど。
ひょっとして、ひょっとする?
きっと、アレだよね。
いや、違う?
やだ、なんか、すっごい緊張してきた。
ど、どうしよう……。

「好きだ。付き合って欲しい」

あ……。
すごく、シンプルな言葉。
でも、ストレートで。
ヤバい……、すごく嬉しい!
うわーん、水野さん、いつも以上にかっこいい!!

嬉しくて笑顔を見せたいのと、嬉しすぎて泣きそうなのとで、あたし、きっと今、すごく変な顔になってる。
でも、返事しなくちゃ!

「あ、あたしも。ずっと、好きでした」

言い終わるか終わらないうちに、あたしの体は水野さんの腕の中にあった。

「よかった……。いくつになっても告白って苦手だな」
頭の上で、水野さんのほっとした声が聞こえる。
なんだか、今まで聞いたことのない、すごくリラックスした声。
あぁ、そうか。
これが、本当にプライベートの水野さんの声なんだ……。
あたし、水野さんの彼女になったんだね。
嬉しい。
水野さんの背中に腕を回し、ギュッと抱きつく。
すると、水野さんもギュッと抱きしめて返してくれた。

あぁ……、すごく安心する。
水野さん……、あたし、最高に幸せ。

「かりん……」

うわっ、初めての呼び捨てだ!
かっと顔に血が上ってくる。
嬉しい!
でも、ちょっとだけ、くすぐったくて恥ずかしい。
水野さんが身動きして、あたしの顔を見ようとしているのがわかったけど、ゆでだこ状態の顔を見られるのが恥ずかしくて、あたしは俯いた。
すると。
「かりん、顔上げて?」
水野さんが、笑いを含んだ声で言う。
うぅ、笑われてるよ……。
でも、やっぱり恥ずかしい。
あたしがしぶとく上を見ずにいると、水野さんは声を出して笑い出した。
「かりん、顔上げろよ。それじゃ、キスできない」

ぎゃー、どうしよう、もうだめーーーっ!
キスくらい、何度も経験あるけど。
ファーストキスなんて、もう何年も前に経験済みだけど。
でも、新しい彼との最初のキスは、いつだって緊張するんだもん。
しかも、こんなふうに予告されちゃったりしたら、ますます緊張するじゃん!
水野さん、意地悪だぁーー!
そんなあたしの心の声が聞こえたのか、それとも単に痺れを切らしたのか、水野さんはあたしの肩に手を掛けて、体を少し離し、かがみこんできた。
水野さんの顔がほんの3cmくらいのところまで近づき、そこで止まる。
「かりん」
囁くように名前を呼ばれ、あたしは思わず唾を飲み込んだ。
もう、心臓は、いつ破裂してもおかしくないってくらいに、ドキドキドキドキ、早鐘を打ってる。
水野さんはフッと笑って、でもまだキスしてこないで、続けた。
「俺の名前知ってる?」
不意にそんなことを聞かれ、あたしは水野さんの目を見返す。
知ってるよ、もちろん。
調べたもん、前に。
かすれそうな小さな声で、彼のフルネームを口にした。
「水野智裕(みずのともひろ)」
「正解。でも俺、教えてないよね。いつから知ってた?」
ううっ、この至近距離で、そんなこと聞きますか?
しかも水野さん、いつのまにか一人称、俺になってるし。
なんか、いつもと雰囲気違って、ますますドキドキしちゃうんですけど。
それでも、けなげなあたしは、素直に答える。
「……ずっと前」
「どうやって知った?」
「……社内メールのアドレス帳で」
「ふうん、でもかりん、俺に社内メールくれたことないよね? 俺も送ったことないし」
ええ、ええ、そうです、その通りです!
その通りだけど、恥ずかしいから、もうこれ以上聞かないで!
抗議の意味で、あたしは黙り込んだ。
「…………」
だけど、水野さんは、追及の手を緩めてくれない。
「わざわざ調べたんだ? 俺の名前知るために?」
もうーーーっ、何を言わせたいのよ!
あたしは、微笑んでいる水野さんの顔を軽くにらんだ。
わかってるくせにわざわざ聞くなんて、水野さん、意地悪!
もう、ぜーったい教えない!
ひとことも口利かないんだから!!
あたしは水野さんの顔から視線をそらせた。
すると、水野さんはすっと体を起こし、腕時計を見た。

「15分か。約束の10分をオーバーしちゃったね。もう帰るよ。おやすみ」
「えっ?」

思わず声が出た。
キスは?
キスするんじゃなかったの?
うそ? おあずけ?
そんな疑問が表情に出てたんだと思う。
プッと吹き出された。
ううぅ……、く、くやしい。
なんだかあたし、水野さんの思惑通りに踊らされてる?
思わず、顔をしかめたら。

チュッ。

突然、軽く触れるだけのキスが降ってきた。
不意打ちのキス。
びっくりして水野さんの顔を見る。
すると、水野さんもあたしの目を見つめてきた。
「これ以上したら、キスだけじゃ止まらなくなるから、襲い掛からないうちに退散するよ。
それとも……襲って欲しい?」

余裕の微笑み。
……やっぱり水野さん、意地悪だ。

聞かないでよ。
そりゃあ……。
襲って欲しい、に決まってんじゃん!
だって、好きなんだもん。
やっと両思いになれたんだもん!
でも言えるわけないし。
そんな恥ずかしいこと。
それに、二股かけてた前科があるから、簡単に寝る女だと思われたら嫌だっていう気持ちもあるし。
くぅーーーー、つらいけど、ここは我慢。
あたしは黙ってうつむいた。
すると。

「かりん」
呼ばれて、あたしは水野さんの目を見る。
「どうしたい? 俺にどうして欲しい?」

だから、聞かないで!
答えられないんだから。
悶々としながらも、黙ってると……。
「明日も仕事だしな。もう1時半だし」
あ、声が変わった。
あたしが、前から知ってる水野さんの声だ。
常識的でジェントルマンな水野さんの声。
ってことは……、ホントに帰っちゃうつもり?
そう思ったとたん、あたしは水野さんの袖をつかんでいた。
水野さんがその手を見る。
あ、ヤバい、言葉より先に手が出ちゃった……。

すると。

グイッと水野さんに抱き寄せられ、声を発する間もなく、水野さんの顔が近づき、唇を奪われた。
舌をからめとられ、吸われ、歯茎を舐められ、唇も舐められ、むさぼられる。
もっと、もっと欲しい。
水野さんの舌の動きを感じ取って、リズムを合わせる。
キスだけで、身体が火照ってくる。
ダメ、キスだけじゃ足りない。
もっと、全部。
水野さんの、全部が欲しい……。

ため息とともに唇が離れ、水野さんがあたしの目を覗き込んでくる。
「かりん……」
「ともひろ……」
初めて水野さんの名前を呼んだ。
あたしの大好きな人、智裕……。
愛してる。

智裕は軽々とあたしを抱き上げ、あたしの身体はベッドに運ばれたのだった……。