14.語る☆イケメン

秋山さんの衝撃の転勤告白を聞いてから、あたしなりにいろいろ考えた。
ついて行こうか、残ろうか。
秋山さんのことは大好きだ。
顔を見れば、カッコイイなぁと、とろけそうな気持ちになるし、性格も仕事ぶりも申し分ない。
秋山さんと結婚したら、穏やかに幸せに暮らせそうって気もする。
でも、大阪には住んだこともないし、友達もいない。
千葉の実家からも遠くなる。

それに、舜のこともある。

ただ、舜とは、バーでデートした日以来、少し疎遠になっていた。最近の舜は、いつもどこか上の空で、会社であたしにちょっかいを出してくることも、デートに誘ってくることもない。
どうしたのか気にはなるけど、秋山さんへの返事が差し迫ってるから、今は放っておいてくれるのがありがたくて、あたしの方からもなにもアクションを起こさずにいる。
秋山さんのことを決めるまでは、舜とデートしてる場合じゃないもんね。

ああ、でもホント、秋山さんへの返事、どうしよう……?


あたしは、朝も昼も夜も、仕事中ですら、ちょっと気を抜くと秋山さんとのことを考えてしまっていた。
今も、秋山さんの方をボーっと見ながら、やっぱり秋山さんの顔が見られなくなるなんて寂しすぎるよなぁ、なんて思っていたところ。
そこへ。

「秋山さん!」

あ、水野さんだ。
秋山さんに、正式に転勤の辞令が出てから、水野さんは毎日、秋山さんのところに来ている。
ABCコーポレーションさんの仕事の引継ぎのためだ。
あれやこれや、毎日大変そう。
でも、新人のあたしに手伝えることなんて、ないしなぁ。

打ち合わせテーブルで、難しい顔をして額を寄せている二人をぼんやり見ていると、昼休みを知らせる音楽が鳴り出した。
秋山さんと水野さんは、席を立つ様子もなく、話に没頭している。
あーぁ、ここで二人を見ていてもしかたないし、お弁当でも買いにいこうかな。
あたしは財布を持って、席を立った。

お弁当を買ってコンビニから戻り、1階でエレベーターを待っていると、開いた扉の中に水野さんがいた。
その横には、総務部のかわいい先輩。水野さんとそのかわいい先輩は、仲良くお喋りしながら、楽しそうに笑いあっている。
あたしが会釈すると、水野さんは軽く手をあげて応えてくれた。
でも、すぐにかわいい先輩とのお喋りに戻り、ふたり肩を並べて歩いていく。
あたしはエレベーターに乗り込み、扉を閉じた。
水野さん、あの先輩と一緒に食事に行くのかな。
仲良さそうだったなぁ。もしかして、彼女? それとも、ただ一緒にお昼を食べるだけの友達?
水野さん、かっこいいもんなぁ。彼女がいてもおかしくはないよなぁ。
楽しそうだったなぁ……。
あたしはなぜか、胸の奥がつかえるような気分を味わいながら、自分のデスクに戻った。


そして、金曜日。
秋山さんについていくのか、いかないのか、気持ちが決まらないまま時間だけは過ぎ、あたしは自分自身にいらだたしさと情けなさを感じていた。
本当にどうしよう……。
会社帰りの駅のホームで、あたしはため息をついていた。

「あれ?かりんちゃん!」

呼ばれて顔を上げると、水野さんだった。
あたしは慌てて会釈した。
「お疲れ様です」
「今帰り? 結構遅くまで残業してるんだね」
会社を出たのは8時。
「来週、秋山さんが転勤されるので、あたしにも少しだけ引継ぎがあって。
でも、あたし以外のメンバーはみんなまだ残ってましたから、あたしは早い方です」
秋山さんの東京での仕事もあと数日だ。
「そっか。
栄転なんだから喜ばしいことなんだろうけど、僕個人としては残念だよ。
短い間だったけど、一緒に客先に行かせてもらってすごく勉強になったから、これからもいろいろ教わりたかったんだけどね」
「ええ……」
「ところで、かりんちゃん、お腹すいてない?」
「ええ、まあ」
「夕飯、付き合ってくれる?」
「え? あ、はい。あたしでよければ……」
急なお誘いにちょっとびっくりしたけど、断る理由もないし、それに、ちょっと喜んでいる自分もいた。
カッコイイ男の人に誘ってもらえるのって、やっぱりうれしい。
あたし達は、ちょうどホームに入ってきた電車に乗り込み、繁華街に出ることにした。

目の前で揚げてくれる串揚げ屋さんのカウンターに並んで座り、おてふきを使いながら水野さんに聞いた。
「そういえば、美沙子さんはお元気ですか?」
「いや、あれ以来会ってないんだけど……。あれ、聞いてない?」
「え? 聞いてないって、なにをですか?」
不思議に思いながら問い返すと、水野さんは、中ジョッキを傾けながら教えてくれた。
「最近は舜君とよく飲みに行ってるらしいよ。彼から聞いてるかと思ってたんだけど」
初耳だった。
「いえ、聞いてません。へぇ、そうなんですか」
舜が美沙子さんとねぇ……。
「あれ? もしかして、これって、かりんちゃんに言ったらまずかったのかな?
美沙子さんからは『昨日は中村君と朝までカラオケ♪』なんてメールが普通に来てたから、二人で会ってることは秘密ってわけじゃないと思ってたんだけど」
水野さんは、ばつが悪そうに頭をかいている。
あれ? 水野さん、あたしと舜のこと、誤解してる?
そういえば、前にバーで会ったとき、舜が、あたしと付き合ってる、みたいなこと言ったんだっけ。
あたしと舜の今の関係は、付き合ってるのとはちょっと違う。
少なくとも、あたしの方はまだ自分の気持ちに答えを出せていない。
あたしは慌てて弁解した。
「あの、水野さん、別にあたしと舜はなんでもないですから気にしないで下さい」
その言葉に嘘はない。
今、舜が美沙子さんと二人で出かけたって聞いても、特に何の感情もわいてはこなかったし。
「え? でも、付き合ってるんじゃないの?」
あぁ、水野さん、やっぱりそう思ってたんだ。
「いえ、そういうんじゃないんです。
同期で、部署も同じグループですから仲はいいですけど、それだけですから」
「あ、そうなの? そっか。それならよかった」
水野さんは、ほっとしたように微笑んだ。
それを見て、あたしも微笑み返す。

それにしても。
ふーん、舜が美沙子さんとね。
そっか。それで舜、最近あたしにちょっかい出してこなかったんだ。なるほどね。
舜が、美沙子さんに興味を示し始めてるって聞いたら、なんだか、肩の荷が降りたような気分。
あれ?
あたし、ほっとしてる?
あれれ? ……っていうことは、あたし……。
そうか。わかった!
強引にキスされて、告白されて、断っても、それでも好きだって言われて、なんとなく自分も舜のことを好きな気になってたけど。
どうやら違ったみたい。
あたし、舜のことは本気で好きなわけじゃないんだ。
好きなら、嫉妬するよね、きっと。
でも、そういう気持ちにならないってことは、あたし、舜のこと、好きなわけじゃないんだ!

「ほら、どんどん食べて。熱いうちに食べた方がうまいよ」
カウンターに置かれた揚げたての串を水野さんに勧められ、あたしは「はい!」と元気に返事をして手に取った。
舜への自分の気持ちがはっきりして、なんだかすごくすっきりした気分だった。

ひとしきり食べて飲んで満足すると、水野さんは冷酒を飲みながら話し出した。
「かりんちゃんはさ、なんでうちの会社に入ったの?」
「えー、入社の動機ですかぁ?」
「うん」
突然の質問に戸惑う。でも、水野さんにすすめられた冷酒でほろ酔いなこともあって、あたしは本音で答えていた。
「正直に言っちゃうとー、就職厳しかったから、入れてくれるならどこでもいいって感じだったんですよねー」
「あぁ、去年は就職難だったんだっけ」
「そうなんですよー」
「そっかぁ。俺らの頃はまだそれほどでもなくて、結構選べる立場だったんだけどさ」
「ええ」
「会社説明会の会場で、うちの社長の話を聞く機会があってね。
そこで聞いた話に俺、やられちゃってさ。
俺、絶対この人の会社で働きたいって思ったんだよね」
「へぇ、そうなんですかー」

あれー? 水野さん、ちょっと顔赤い。
それにいつもは『僕』って言う人なのに、今、『俺』って言った。
酔ってるのかなぁ?

「そのときに聴いた話の中で、一番印象に残ってるのが、"2:6:2"の話でね。
会社でも何でも、人の集団は、"2:6:2"に分かれるらしいんだけどさ、
かりんちゃん、この"2:6:2"の比率、なんのことだかわかる?」
「いえ、わからないですー」
「これはさ、『できるやつ、普通のやつ、できないやつ』の比率なんだ。
会社に100人いれば、そのうちの20人はできるやつ。
そのできるやつが会社を引っ張っていく。
うちの会社でいえば、リーダーとかマネージャーとかだね」
んーと。あたしは頭の中で、会社のリーダー、マネージャーの数をざっと数えてみた。
うん、たしかに20人くらいだ。
「ああ、なるほど」
「で、60人が普通のやつ。
これはリーダーに指示されたことを指示されたとおりにやる、ひらのメンバーのことだな」
「はい」
あたしはここに入るのかな?
「で、できないやつってのが、20人いる。
かりんちゃんのグループにも、仕事をサボるやつとか、みんなの足を引っ張るやつとかいない?」
言われて、自分のグループの、秋山さんの提案に文句を言うばかりで、建設的な意見はまったく出さない嫌味な先輩を思い出し、苦笑いした。
「あぁ、まぁ、いますね……」
「でしょ? かりんちゃんもさ、ああはなりたくないなって思わない?」
「はい、そうですねー」
「でしょ?やっぱり同じ働くならバリバリ働いて、人並み以上になりたいよな?
これも社長の受け売りなんだけどさ。
人間って、いろんな欲求を抱えてる生き物でさ、
食欲とか睡眠欲とか『生理的な欲求』が一番根底にあって、それが満たされると次には、着るものとか家とか自分の身を守るものが欲しいと思う『安全の欲求』が出てくる。
そんなふうに、欲求には階層があってね。
その階層の一番上の欲求ってのが、『自己実現の欲求』って言われてるんだ。
自分の能力を発揮して、自分自身を成長させたいっていう欲求。
俺はさ、トップ取れるかどうかはわかんないけど、あの社長の下で、できるとこまで昇りつめてやりたいって思ったんだ。
それが、俺がこの会社に入った動機なんだ」
そう言って、水野さんは少し照れくさそうに笑い、グラスに口をつけた。

へえ、そうなんだぁ。
水野さん、顔赤くして熱弁ふるって。
ちょっと、意外だったかも。
こんな情熱を、内に秘めた人だったんだ。
夢を語る水野さん、キラキラしてる。
最近ウジウジと「どうしよう、どうしよう」って、内にこもってたあたしとは、正反対だな。
前向きな人っていいなぁ。
水野さんの話を聞いてたら、あたしの落ち込んでいた気持ちも、ぐいって引き上げられた気分。
水野さん、かっこいい! なんかまぶしいくらい。

「なんか、すごいですね、水野さん」
あたしが尊敬のまなざしで見ると、水野さんはますます照れ笑いした。
「いや、俺なんかまだまだ。全然すごくなんかないよ」
水野さんは首を振って言う。
「うちのリーダーなんか常にポジティブだしさ、いつも俺らの気分を盛り上げてくれるんだ。
俺も、まずはそういうリーダーになりたいんだよね。
かりんちゃんとこの、秋山さんもそうじゃない?
客先の行き帰りに少し話しただけでも、俺、すごくモチベーション上がったよ」
秋山さんの名前を聞いて、少し胸がうずく。
でも、それを表には出さないようにして答えた。
「はい。秋山さんには、あたしもいつも元気をもらってて、すごく感謝してます」
「でしょ?
俺もさ、そういういいリーダーになって、次にはいいマネージャーになって、ゆくゆくは経営に近いポジションまで行きたいんだよね」
強い意志を瞳の奥に秘めて語る水野さんの横顔を見ながら、あたしはいつかきっとそういう日が来る、と予感めいたものを感じた。

ポジティブな人って、周りの人間にもプラスの影響を与えてくれる。
そういう影響力のある人って本当に尊敬する。
秋山さんもそうだけど、秋山さんは、もう少しおだやかな感じ。あたしには水野さんの方が、情熱的で強い影響力があるように感じる。
水野さんって、本当にすごい人なのかも……。
ドキドキドキドキ。
なんだろ、妙に心臓が高鳴る。
なんだか、顔もほてってきた。
水野さんの情熱が、じかに伝わってきたみたい……。

「かりんちゃんは? 夢とか目標とか、ないの?」
「え、あたしですか?」

ドキン!
あたしの、夢……。

「なんか俺ばっか話しちゃったし、かりんちゃんの話も聞かせてよ」
「はぁ……」
あたしは、ためらった。
あたしの、夢……。
「えっとー、あたしは……。あたしの夢は……。
お、お嫁さん! 可愛いお嫁さんかな? なーんてっ! ヘヘッ」
笑いながら、冗談っぽく答える。
でも、心臓はバクバクと大きな音を立てていた。すっかり、酔いはさめてしまっている。
水野さんは、そんなあたしの変化には気づかなかったようで、笑って調子を合わせてくれた。
「あー、いいなあ。かりんちゃんの花嫁姿。
ウェディングドレスでも白無垢でも似合いそうだなぁ」
「へへ……」
あたしは笑顔を顔にはりつかせ、言えなかった本当の夢を頭から追い出し、グラスに残っていた冷酒を飲み干したのだった。