12.ジェントル☆イケメン

あたしは、水野さんに引っ張られるようにしてバーの出口へ。
後ろで、舜が立ち上がる気配を感じて振り返ると、あたしを止めようとするように、手を伸ばしてる。
でも、舜のその腕を、美沙子さんがつかんで引き止めた。
「ここは水野くんに任せましょ」
美沙子さんはそうにこやかに言って、あたしに手を振る。
しかたなく、あたしも笑顔を作って会釈し、バーをあとにした。

エレベーターホールに出たところで、あたしは水野さんに向き直った。
「あの、あたし、ひとりで帰れますから、水野さんは戻ってください」
「いや、そういうわけにはいかないよ」
水野さんはまったく取り合ってくれない。
だけど、舜ならともかく、水野さんに送ってもらういわれはないから、あたしも引き下がらなかった。
「本当に大丈夫です。飲み会とかで、このくらいの時間に帰ったことは何度もありますから」
「え、でも……」
「本当に大丈夫ですから!」
あたしがしつこいくらいに何度も断ると、やっと水野さんは折れてくれた。
「んー、本当に平気?」
「はい!」
「わかった。じゃあ、タバコ買いに行くついでに下まで見送るよ。それくらいはいい?」
「はい、それなら……」
あたしが微笑むと、水野さんもしぶしぶといった表情で苦笑いしていた。

エレベーターで1階につき、ロビーを出たところで、近くのコンビニへ向かう水野さんと手を振って別れる。
水野さんを見送り、あたしは駅へ向かうため、ホテル前の横断歩道で、信号が青に変わるのを待った。
すると……

「おー、かわいいねえ。おねーちゃん、どこ行くのー? ヒック! オジサンと飲みに行こうよ〜。ヒック!」
フラフラと千鳥足で寄ってきたのは、明らかに飲みすぎな中年男。
あー、やだやだ。こういうときは知らないフリ。
あたしは聞こえないふうを装い、ひたすら信号を見つめた。
「あれえ? 無視しないでよ〜。オジサン、さみしーんだあ。仲良くしようよ〜。ヒック!」
酔っ払いは、馴れ馴れしく、あたしの肩に手を乗せてくる。
ひえ〜、触んないでよー!
「おっとっと〜」なんて言いながら、体重をかけて寄りかかられ、あたしはふらついた。
ちょっと、勘弁して!
これじゃぁ、もう聞こえないフリはできない。
あたしは、毅然とした態度で酔っ払いを押しやった。
「やめてください!」
信号、早く変わって!
心で念じるけど、こういうときに限って、ちっとも変わらない。
「なんだよ、つれないこと言うなよ! どうせ、そこのホテルで今まで男とヤッてたんだろ? お高くとまってんじゃねーよ!」
うそっ! やだ、怖い!
急に高飛車に出てきた男に恐怖を感じ、ビクッと体が震える。
あたしが怯えたのに気づいたのか、男は、ますますあたしに体を密着させてくる。
いやぁ、やめてー!
その時。

臭い息を吐きかけてきていた男の顔が、突然、フッと離れた。
「いてててっ、何すんだ!」
男は、右腕を背中に取られ、もだえている。
ハッとして振り返ると、水野さんだった。
「彼女、嫌がってるじゃないですか」
「いてえ、離せ!」
「はい? 僕の言ったこと、聞こえませんでした?」
水野さんは、男の腕をさらに締め上げる。
「わああ、わかった! か、勘弁してくれっ!」
「もう彼女にちょっかい出さないと約束してくれますか?」
「する、するから離してくれ!」
「わかりました、約束ですよ?」
そう言って、水野さんが男を突き飛ばすと、男はちょうど青に変わった横断歩道を、ふらふらしながら大慌てて逃げていった。

「あ、ありがとうございました!」
あたしは、90度に頭を下げた。
「いや。それより、大丈夫だった?」
顔をあげると、水野さんは気遣うようにあたしを見ている。
「はい、大丈夫です。本当にすみませんでした。えっと……それじゃぁ、失礼します」
もう一度お辞儀をして、点滅し始めた横断歩道のほうへ足を向けると、水野さんに腕をつかまれた。
「えっ? あ、あの、水野さん?」
水野さんはあたしの腕をつかんだまま、ホテルの車寄せに向かって歩き出す。
「あの、水野さん? あたし、もう帰らないと終電が……」
すると、水野さんはにっこり微笑んであたしを振り返り、
「送るよ」
とひとことだけ言い、ホテル前に待機していたタクシーのドアの中へ、あたしを押し込む。
「えっ、いや、あの……」
慌てるあたしに構わず、水野さんもタクシーに乗り込んできて、尋ねてきた。
「家、どこだっけ?」
「えっ?」
戸惑っていると、運転手さんも振り返ってあたしを見る。あー、もう、しょうがない。あたしは観念して、自宅の場所を伝えた。

走り始めたタクシーの中は、すごく静か。水野さんは、無表情でまっすぐ前を向いて座っている。
なんとなく沈黙が居心地悪くて、あたしは何でもいいからしゃべることにした。
「あの、水野さんって、強いんですね。びっくりしちゃいました。何か格闘技でもやってらしたんですか?」
水野さんは、あたしの方を見て微笑んだ。
「いや、特に何も。相手が、酔っ払いの中年だったからね。あれがケンカ慣れした若い奴だったら、きっと敵わなかったよ」
ええっ、そうだったの?
それじゃぁ、もしあの男が、結構強かったりしてたら、水野さんにも危害が及んでたかもしれないってこと?
わわわ、そんな危険を冒して、あたしを助けてくれたんだ!
「本当にありがとうございました」
あたしは、あらためて頭を下げた。
でも、水野さんは笑って首を振っている。
「そんなに気にしないで。僕が悪かったんだから。やっぱり、最初からちゃんと送るべきだったんだよ。怖い思いさせて、ごめんね」
「いえ、そんなこと……」
水野さんが謝ることじゃないのに。
「自分で送るって言ったのに、途中で放り出そうとして。これじゃあ、舜君に怒られそうだな」
「いえ、あたしが断ったんですから……。あ! そういえば水野さん、舜の名前まで、よくご存知でしたね」
さっき、不思議に思ったことを思い出したので、聞いてみた。
すると、水野さんは、なんでもないことのように答えてくれる。
「ああ、今日の昼間、秋山さんから聞いたんだ。ABCコーポレーションさんのシステム提案書、彼が書いたんだってね。すごく良くできてた」
「ああ、それで」
昼間聞いたばかりなら、覚えていて当然だね。
「そうそう、今度、秋山さんと一緒に、客先に提案書持って行くんだけど、これからは、頻繁にかりんちゃんのチームにも顔出すことになると思うから、よろしくね」
「はい!こちらこそ」

そっか。水野さん、うちのチーム担当の営業さんになるんだ。
そういえば、昼間もABCコーポレーションさんの件でって言ってたっけ。
あれ? でも……。
「ABCコーポレーションさんって、高橋さんが営業担当じゃなかったでしたっけ?」
お得意様の営業担当者なら、何人か知っている。たしか、ABCコーポレーション担当営業は、高橋さんっていう、ベテラン営業さんだったはず。
「うん、そうだったんだけど、高橋さん、大阪支社に転勤が決まってね。あ、でもこれ、まだオフレコだから内緒ね。辞令は来週あたり出るらしいけど。それで、僕が引き継ぐことになったんだ」
なるほど。それでだったんだ。納得。
「そうだったんですか。でも、大阪に転勤なんて、大変ですね」
「うん、でも高橋さんは結婚してるから早めに内示があったみたいだよ。ほら、家族がいると引越しも大変だから。独身だと、もっとギリギリに言われるからね、うちの会社の場合」
「へえ、そうなんですか」
どうやらそれは社内の暗黙のルールらしいけど、新人のあたしは初耳だった。
「まあ、うちは、女性は基本的に希望しない限り転勤はないから、かりんちゃんは気にしないで大丈夫だと思うよ」
「あ、それは入社時に言われました」
あたしの実家は、千葉の南の方。
大阪なんて言ったら、両親はきっと反対するに決まってる。
あたしも、土地勘のない大阪に、転勤したいとは思わない。
こんなとき、つくづく女でよかったなぁって思う。

「ありがとうございました!」
マンション前まで送ってもらい、再びタクシーに乗り込んだ水野さんに、あたしは頭を下げた。
「ほら、もう行って。先に入ってくれないと、心配で行けないよ」
笑って水野さんにそう言われ、あたしはもう1度頭を下げ、マンションの中に入った。

エレベーターで上にあがりながら、水野さんのことを考える。
水野さん、第一印象は、軽い感じの人って思ったけど、全然そんなことなかったな。
颯爽と現れて、酔っ払いから助けてくれて。
タクシーの中でも紳士的で。こう言ったら悪いけど、ちょっと意外だった。
もっと、簡単に手を出してくるようなタイプの人だと思ってたから。そんな風に思ってて、ごめんなさい、水野さん。
……いい人だなぁ、水野さん。
あ、そういえば、水野さんって、下の名前、なんていうんだろ?
今度、社内ネットワークのメールアドレス一覧で調べてみよっと。あれなら、フルネームが載ってるはず。

あたしは、なんだか温かい気持ちで自分の部屋に戻った。