11.美女☆登場

その夜、あたしは舜とホテルの中にあるレストランで食事をし、そのあと、最上階のバーに連れてこられた。
舜はこういうところにもよく来ているようだけど、あたしは初めて。
大きなガラスの向こうに広がる夜景。
西に延びる幹線道路を走る車の赤と白のライトの列が、ずっと遠くまで続いている。
会話を邪魔しない程度の音量で流れる曲。
ゆったりとしたソファ。
洗練された内装。
ふかふかのソファに並んで座り、舜が選んでくれたカクテルのグラスを傾ける。

高級で、贅沢な空間に、やっと慣れて来た頃、舜が何かに気付き「あ」と小さく声を漏らした。
ん? どうかした?
舜の視線の先を追い、あたしも目を見開いた。
「あっ、水野さん!?」
バーの入り口を入ってきたのは、昼間、秋山さんのところに来ていた営業の水野さんだった。

水野さんの方もあたし達を見つけ、微笑みながら近づいてきた。
「奇遇だね、かりんちゃん」
「こんばんは」
驚きながら、挨拶を返す。
ところが、隣の舜はそっぽを向いて、水野さんの顔すら見ようとしない。
もう、舜ったら!
昼間、好きでもなんでもないって言ったのに、ちっとも信じてないらしい。
気まずい雰囲気にあたしがおろおろしていると、救いの声が、水野さんの後ろから聞こえてきた。
「お知り合い? 紹介してよ」

水野さんの連れの女性の、涼やかな声。
水野さんの横に顔を出したのは、スレンダーで大人っぽい、きれいな人だった。
水野さんは彼女を振り返り、微笑んで紹介してくれる。
「こちらは僕の大学の先輩で、茅島美沙子(かやしまみさこ)さん。
で、こちらは同じ会社の桜井かりんさんと中村舜君」
水野さんが舜のフルネームも知っていることにちょっと驚きながら、あたしと舜は立ち上がって茅島さんに挨拶した。
舜も、さすがに初対面の女性には、不機嫌な顔は見せない。
よかったー。
あたしはほっとした。
茅島さんが名刺を出してきたので、あたし達も名刺を取り出し、交換した。
茅島さんの肩書を見ると、『代表取締役社長』とある。
「えっ、あのう、茅島さんは社長さんなんですか?」
思わず、あらためて茅島さんの顔をまじまじと見てしまう。
茅島さんは、水野さんの先輩、というのだから、20代後半くらい?
いや、社長っていうくらいだから、もしかしたら30歳を超えているのかな。
でも、見た目は、あたしより少ししか年上に見えない、落ち着いた物腰の美人。
こんな若くてきれいな人が社長!?
茅島さんはにこやかに微笑んで「ええ」と頷く。
そして、
「ね、こうしてお会いしたのも何かの縁でしょうし、ご一緒させていただいてもいいかしら?」
と、問い掛けてきた。
え、一緒に?
舜に目で問いかけると、舜が頷いたので、あたしは「どうぞ」と前のソファを勧めた。

あたし達の向かいに、水野さんと茅島さんが座り、2人の頼んだカクテルが運ばれてきたところで、4人で乾杯。
「ところで……」
グラスを置いた茅島さんが、あたしと舜を見比べながら聞いてくる。
「おふたりは恋人同士?」
「えっ……」
いきなりの鋭い質問にあたしが戸惑っていると、舜が代わりに答えた。
「ええ、そんなところです」
「そう。美男美女でお似合いだわ」
茅島さんに微笑んで言われ、あたしは慌てて手を振る。
「そんな、とんでもないです。水野さんと茅島さんの方が、ずっと美男美女で、素敵なカップルです!」
すると、茅島さんはコロコロと楽しそうに声をあげて笑い、水野さんは苦笑いしながら、あたしに耳打ちするように言った。
「僕と美沙子さんは、そんなんじゃないよ。たまに呼び出されて、飲みに付き合わされてるだけ」
「あら、水野くん。何か不満でもあるのかしら?」
水野さんの囁き声は、茅島さんにも聞こえていたらしい。
「いえいえ、滅相もない! 美沙子さんに誘って頂けるなんて身に余る光栄です」
「そう? なんか私には、しかたなく付き合ってやってるんだっていう風に聞こえたんだけど?」
「まさか、そんなことあるワケないじゃないですか! こんな美人とお酒が飲めるなんて、僕はなんて幸せ者なんだろうなぁっていつも心から感謝してるんですよ?」
「あらそうお? ま、わかってるならいいんだけど?」
ふたりとも、大マジメな顔して、でも、言葉の端々でクスクス笑いながら、そんなやりとりをしてる。もしかしたら、すでに少しお酒が入ってるのかも。
軽快な冗談めかした息の合ったやりとりに、思わず吹き出してしまった。

すると、茅島さんも笑いながらあたしに聞いてきた。
「かりんちゃんって呼んでいいかしら?」
「あ、はい」
「私も、美沙子、でいいからね」
「はい。じゃぁ、美沙子さんって呼ばせていただきます」
あたしがそう返すと、うなずきながら、美沙子さんは話してくれた。
「私が水野くんを時々呼び出すのはね、むさ苦しいおじさん相手ばかりじゃなくて、たまにはイケメンと飲みたくなるからよ。社長、なんて肩書持ってると、気がすすまない接待も多くて」
美沙子さんが、心底ウンザリといった表情でそう言うので、何だか気の毒になってしまう。
「大変なんですね。まだ会社に入って一年目のあたしがこんなこと言うのはおかしいかもしれませんけど、お若いのに社長だなんて、すごいですね」
「ううん、別にすごいことなんてないのよ。夢中で働いてたら、いつの間にか会社からはみ出しちゃって、自分の会社を作っちゃったってだけなんだから」
それを聞いた水野さんが、ため息をついた。
「うわ、軽く言ってくれるよなあ。それで、僕の年収の10倍稼いでるんだから、頭上がらないですよ」
「ええーっ、10倍ですか!?」
驚いて、つい大きな声をあげてしまう。
しかし、美沙子さんは涼しい顔でグラスに手を伸ばしている。
「なに言ってるの、大袈裟よー。私くらいの年になれば、誰だって私と同じくらいは稼いでるわ」
しかし、水野さんを見ると、あたしに向けて「うそうそ」と小さく首を横に振っている。
やっぱり、美沙子さん、すごい人みたい……。
あたしは呆然と、美沙子さんを見つめてしまった。

「どういったお仕事をされてるんですか?」
驚いて言葉をなくしてしまったあたしの代わりに、それまで黙っていた舜が、美沙子さんに話しかけた。
美沙子さんは、グラスのカクテルをひと口飲んでから、それに答える。
「コンサルタント会社なんだけど、最近は、女性や若い人向けに起業ノウハウの講演をしてくれっていう依頼が多いかな」
「それは、美沙子さんご自身が講演されるんですか?」
舜も、自分のグラスをゆったりと傾けながら質問してる。
「ううん。私はもっぱら社長業に専念してるわ。講演するのはうちの専任のスタッフか、外部の専門家に頼むかどちらかよ」
「へえ」
「注文してくる方は私の経歴を知って、そういう依頼をよこすのかもしれないけど、どうしても私に、という場合以外は、私が行くことはないわね」
そこで、水野さんが言葉を継いだ。
「美沙子さんは、もともと営業だからね。講演するよりも、仕事を取ってくる方が得意なんだよ。それに、大勢の前で話すより、こんなふうに1つのテーブルを囲んで話をする方が好きなんだよ」
「ね?」と美沙子さんを見る水野さんに、美沙子さんはフフッと笑う。
恋人同士ではないって話だったけど、水野さんと美沙子さん、お互いをよくわかってるって感じで、なんかすごくいい雰囲気。
「もともとコンサル会社にいらっしゃったんですか?」
また、舜が美沙子さんに聞いた。
「ええ。ずっと営業をやってたんだけど、前の会社では受けられない条件の依頼が結構多くてね。
それなら、そういう依頼に応えられる会社を、私が作っちゃえって。
だから、会社設立当時は、前の会社でお断りしたお客さんばっかり。前の会社の先輩に、泥棒呼ばわりされたわ」
えっ、泥棒呼ばわり!?
美沙子さんはいたずらっぽく笑いながら話してるけど、大変なことも多かったんだろうな。

舜はその後も、美沙子さんの仕事の話を、あれこれと熱心に聞いている。
そんな舜を見て、水野さんがタバコに火をつけながら、あたしに囁いてきた。
「彼は、独立指向があるのかな?」
独立志向?
美佐子さんみたいに、自分で会社を作るってこと?
舜からそういう話は聞いたことがない。
「さあ、どうなんでしょう?」
あたしは首をひねったけど、もしかするとそうなのかも。
そう思うくらい、舜は真剣な表情で美沙子さんの話を聞いていた。
美沙子さんも、そんな舜に話をするのが楽しいようで、さまざまな話を聞かせている。
なんだか、先生と生徒みたい。
あたしはちょっと微笑ましく思いながら、そんな2人を見ていた。

美沙子さんの話が、あたしには難しくなってきて、ふと腕時計を見ると、そろそろ終電の時間。
あたしは、話がちょっと途切れたところで、切り出した。
「ごめんなさい、あたし、そろそろ電車がなくなりそうなので、お先に……」
そう言って、立ち上がろうとすると、舜が、あたしの袖を引いた。
「あとで送るから、もう少しいいだろ?」
んー、正直言うと、ちょっと眠くなってもきてるんだよね。
できれば、もう帰って、ベッドにもぐりこみたい。
でも、舜はまだ、美沙子さんと話していたいんだよね?
だから、あたしは舜の手をそっとはずして、笑顔で言った。
「あたしは大丈夫。まだ電車あるし、一人で帰れるから。また明日ね、舜。
美沙子さん、水野さん、お先に失礼します」
しかし、舜はまたあたしの腕をつかむ。
「いや、ひとりじゃ危ない。あとでタクシーで送るから、もう少しいろよ」
それを聞いた美沙子さんも、援護射撃してきた。
「そうよ、もう少し飲みましょうよー。タクシー代は私がもつから、ね?」
舜も、美沙子さんも、もうかなり飲んでいて、顔が赤い。
酔ったふたりは、ちょっと強引で、あたしは困ってしまった。
「いえ、そんな、本当に大丈夫ですから……」
あたし達が押し問答していると、ポンと膝を打って、水野さんが立ち上がった。
「よしっ!じゃあ、僕がかりんちゃんを送って、またここに戻ってこよう。
ふたりはそれまで、お喋りして待ってて」
歯切れのいい水野さんのセリフに、一瞬、全員が黙って動きを止める。
その隙に、水野さんはあたしの腕を取り、有無を言わさず、さっさと席を立って歩き出した。

ええーーーっ!?
ちょ、ちょっと、水野さん!?