8.本当の気持ち ― 4

宮部が本社に出向し、まりあさんが退職して、うちのオフィスは明らかに人手不足になった。
ブライダルプランナーは、チーフになった美里さんと、既婚の先輩がひとり、あとは私の3人だけ。
けれど、うまくしたもので、8月は、毎年お客様の少ない月。
お客様が増えないうちに正社員を入れようと、広告を出して経験者を募集しているけれど、残念ながら、まだいい人は見つかっていない。
正社員が見つかるまでは、佐藤マネージャーが声をかけた、結婚や出産で退職した先輩方にパートタイムで来てもらって、なんとかしのいでいる。
そんな人手不足の状況ではあるけれど、私はまだ新米のプランナーなので、一之瀬様・源様の件だけに専念させてもらっていた。

初めてのプランナーとしての仕事だし、宮部に救ってもらった件だから、絶対に満足してもらえるものにしたくて、必死に働いた。
それになにより、仕事に没頭していれば、宮部のことを考えずにいられたから、残業も苦にならなかった。
週末ごとに、一之瀬様と優華さんに足を運んでいただき、料理、装花、演出、引出物、写真、ドレス、ヘアメイク、ブーケなどを決め、とうとう、結婚式まであと1週間となった。

8月26日、日曜日。
今日は、優華さんのヘアメイクリハーサルの日。
ヘアメイクの担当者に100%任せてしまってもいいのだけど、仕上がり具合を見たくて、できた頃合いを見計らい、メイク室に行ってみた。
「失礼しまーす」
声をかけてメイク室に入ると、最初に、受付テーブルで打ち合わせしている美里さんとヘアメイクのチーフの姿が目に入った。
「あ、お疲れ様です」
挨拶して、わきを抜け、奥へ進む。
メイク室は美容室のような作りだけど、鏡と反対の壁にしつらえられたガラスのショーケースに、うちでレンタルしているティアラや、華やかなヘアアクセサリーがディスプレイされている点が、普通の美容室とは違う。
いくつかイスが並んでいるけれど、今の時間は他にはお客様はおらず、一番奥で、優華さんはメイクしてもらっていた。

「仕上がりはいかがですか?」
何度か打ち合わせして仲良くなったヘアメイクの担当者に会釈し、鏡越しに優華さんに訊く。
「あ、葛西さん! 今、相談してたところなんですけど、これとこれ、どっちの色がいいと思います?」
優華さんが、2色のルージュを見せてきた。
「どちらもきれいな色ですね」
「今、こっちをつけてみたんですけど、ちょっと派手かなぁと思って」
「うーん、それほど派手でもないですよ。写真やビデオ映りの良さそうな色なんじゃないでしょうか」
「あー、やっぱり葛西さんもメイクさんと同じ意見なんだー。じゃぁ、プロの言うことを信じてこっちにします!」
「あ、でも、優華さんのお好きな色でいいんですよ。優華さんの晴れ舞台なんですから。なんなら、今、写真撮って見てみます?」
「ううん、ドレスのときもそうだったんですけど、写真撮ってみると、やっぱりプロの言うとおりだなって思ったんですよ。だから、プロの意見に従います!」
きっぱり言い切った優華さんを見て、ヘアメイク担当者と目を合わせて微笑み合う。
こんなふうに、うちのスタッフを信頼してくださるのは、とても嬉しい。

一歩下がって、改めて優華さんを見た。
長い髪をアップに結い上げ、ティアラを載せた優華さんは、本当に美しくてため息が出る。
「ティアラがよくお似合いですね。優華さん、すごくきれいです」
優華さんは少し照れくさそうに微笑み、教えてくれる。
「このティアラ、バラをモチーフにしていて、ダイヤもたくさんついてるんですよ。すごくきれいで、一目ぼれしてこれに決めたんです。でも、落としたりしないか、ちょっと怖いんですけどね」
「フフフ、大丈夫ですよ。ちゃんと落ちないように固定してくれますから。でも、うちのレンタルでよかったんですか? お父様は新品を購入しろっておっしゃいませんでした?」
「ええ、父は新品を買えってうるさかったんですけど、買っても二度と使うこともないだろうしもったいない、その分、新居の物を買うのに使わせてもらうからって、説得したんです」
「そうですか」
私たちのやり取りを聞いていたヘアメイク担当が、口をはさんできた。
「姫ちゃん、でもこれ、うちでは一番高価なティアラなのよ。めったに出なくて、今年も優華さんが初めてのお客様なんだから」
「えぇっ、そうだったんですか? ごめんなさい、勉強不足で」
「まぁ、値段じゃないけどね。でも、私も優華さんには、これが一番お似合いだと思うわ」
「そうですね」

そのとき、鏡越しに優華さんを見ている美里さんが目に入った。
ん? なんだろう? 美里さん、ちょっと怖い顔……。
優華さんを睨んでいるように見えて、かすかに不安を感じた直後、目が合った。
え、優華さんじゃなくて、私を睨んでる? と思ったんだけど、美里さんはそのまま黙ってメイク室を出て行ってしまった。
……なんだったんだろう?
何か不機嫌になるようなことでもあったのかな?
でも、一緒に打ち合わせをしていたヘアメイクのチーフは、特に変わった様子もなく、資料を片付けてオフィスに戻って行く。
もめている感じでもなかったし、私の見間違いかな?

「じゃぁ、次は、お色直し後のヘアメイクをしますね」
「はい、お願いします!」
ふたりの声に、視線と意識を優華さんに戻す。
お色直しのドレスには、バラの生花を使ったアレンジだったよね。
今日はリハーサルだから、本番と似たような色の作り物のお花を使う様子。
ティアラをはずして、また違う印象に変わっていく優華さんを、私は微笑みながら見守った。