6.父の想い ― 10

「まったく、男の人っていうのは、不器用な方が多いわね」
沈黙を破ったのは、一之瀬様のお母様だ。
「優華さんのお父様は、優華さんが可愛くて仕方ないのね。でも照れて、そう言えないのよ。優華さん、親孝行だと思って、甘えてあげなさい」
「お母様……」
優華さんが、お母様を見ると、ニッコリ微笑んでうなずく。
「ね、そうなさい」
「はい……」
優華さんは、強張っていた表情をやわらげ、素直にうなずいた。
一之瀬様も、そんなふたりを微笑んで見ている。

よかった……。
思いもかけず、一番警戒していた、一之瀬様のお母様に助けられちゃった。
一之瀬様のお母様も、根はいい人なんだ。
ホッとしていると、一之瀬様のお母様が身を乗り出した。

「じゃぁ、私からの条件も伝えておくわ。お料理は最高のものをお出しすること。その分の費用はこちらで持ちます。あと、招待客のリストは、親族と主人の仕事関係の方々については、こちらで用意します。それ以外は、どうとでも、あなた方ふたりで好きなように決めなさい」
すると、優華さんと一之瀬様は顔を見合わせ、ゆっくり微笑みあった。
一之瀬様が、お母様に向き直り、はっきり答える。
「わかったよ、かあさん」
一之瀬様も優華さんも、とっても幸せそう。
またおふたりの笑顔を見られて、本当に良かった……。

「さぁ、じゃ、今日はこの辺でお開きでいいかしら?」
一之瀬様のお母様がぐるりと私たちを見回す。
私は、微笑んでうなずいた。
「はい。最後に、次回のアポイントだけ決めさせてください。一之瀬様、源様、次の打ち合わせは、いつがよろしいでしょうか?」
おふたりの都合に合わせてアポイントを取り、本当にお開きとなった。

お三方を出口までお送りする
傘を渡しながら外を見ると、雨はあがっていた。
「雨降って地固まる、だわね」
星が瞬きだした夜空を見上げながら、お母様がつぶやいたのを聞き、宮部が微笑んむ。
「このたびは、ありがとうございました」
本当に今日は、お母様の寛大な心に助けられた。
宮部と並んで深々と頭を下げる。
「当日まで、あの子たちのサポート、よろしくお願いしますね」
「はい、かしこまりました」

お帰りになる3名様の姿が見えなくなるまで見送り、中に戻る。
すでに通常の営業時間を過ぎ、ロビーの受付にも人はいない。
「あー、よかった! これで一件落着だー!」
大きく伸びをしながら言うと、宮部が笑う。
「よかったな」
「宮部、いろいろありがとね!」
「いや。今日は、俺、全然出番なかったし。姫、よくやったよ」
「ううん、宮部が作戦練ってくれたから。あ、私、片づけてからいくから、先にオフィス行ってて」
「あぁ、了解」
宮部をオフィスに見送り、接客コーナーを片付ける。
すると。

「すいませーん」
ロビーから声か聞こえてきた。
誰だろう?
「はーい!」
出て行くと、背の高い、がっしりした体型の、スーツ姿の若い男性が立っていた。
真っ黒な短髪がさわやかな、スポーツマンって感じ。
「お待たせしました。なんでしょうか?」
「すみません。こちらに、宮部和樹さんはいらっしゃいますか?」
ひょっとして、宮部が担当しているお客様?
「はい、おります。あの、失礼ですが……?」
「私、クロサワ、と申します」
えっ!?
クロサワって……、宮部が美里さんと話してた、あの、クロサワ、さん?
内心の動揺を悟られないように、笑顔を保つ。
「かしこまりました、クロサワ様ですね。少々お待ちください」

慌ててオフィスに戻ると、すでに全員帰宅したのか、宮部だけがポツンと席にいた。
「宮部。ロビーにお客様がいらしてる。クロサワ様、だって……」
入り口からそう声をかけると、宮部は目を見開いた。
「えっ……、クロサワ!?」
「うん」
また呼び捨てだ。
お客様じゃないってこと?
ロビーに出て行く宮部を見送り、私は接客コーナーに戻った。
ここからなら、ロビーの声が聞こえるからだ。
盗み聞きなんてよくないってわかってるけど、好奇心を押さえられなかった。

「クロサワ……、どうしてここに?」
宮部が咎めるような口調で訊いている。
「突然すまない。携帯にかけたんだが、つながらなくて」
「あぁ、そうか。今日、水に濡らしてしまって、電源入れてなかったんだ」
あー、それ、私のせいだ。宮部、ゴメン……。
「で? 美里さんに会いに来たんじゃなくて、俺に? っていうか、おまえ、今までどうしてたんだよ?」
「ゴメン。いろいろあって……。ここじゃなんだから、外で飯でも食いながら話せないか? まだ仕事中なら、終わるまで待ってるから」
「いや、もう帰るとこだから、ちょっと待ってろ」
宮部がオフィスの方に戻って行く足音が聞こえてくる。
慌てて、イスを直したり、パンフレットの位置を直したり、片づけてるフリを装う。
そこに、宮部が通りかかった。
「あ、姫、まだこっちにいたんだ」
「うん、でも、今終わったとこ」
そう言って、一緒にオフィスに戻る。
「姫、ゴメン、俺、今日、先に上がっていいかな?」
「うん、もちろんいいよ! いろいろありがとね! 助かった。私は、今日の報告、入力してから帰るから」
「あぁ。じゃ、お先に!」
「お疲れ様!」

宮部は、バッグを手に取ると、オフィスを出て行った。
……クロサワさんって、いったい何者なんだろう?
年齢は私たちと同じくらいだし、宮部の口調からすると、友達っぽいけど……。
宮部と美里さんとクロサワさん、どういう関係なんだろう?
でも、考えたところで答えは出ない。
私は諦めて、入力作業に取りかかることにした。