6.父の想い ― 9

昼食を買って戻ると、机に上にメモが置いてあった。
さっそく優華さんから電話があったみたい。
すぐに折り返しかけてみると。
「彼と連絡がついて、お母様も説得してくれて、早い方がいいだろうということで、さっそくなんですが、明日の夜7時に3人で伺いたいんですけど、よろしいですか?」
とのこと。

もちろん快諾して、無事にアポイントが取れた。
ほっとして、自席で買ってきたサンドイッチを頬張ってると、宮部がオフィスに戻ってきた。
いつもニコニコしてる宮部にしては珍しく、真顔だ。
佐藤マネージャーに叱られて、へこんでるのかも。

「宮部ー、お昼買ってあるよ!」
声をかけると、ふにゃっと笑顔になる。
「サンキュー。すげぇ腹減ったー!」
隣の席に来て座り、カツサンドを手にした宮部に報告する。
「今さっき、優華さんから電話あって、明日の7時に3人でいらっしゃるって」
「そっか。じゃぁ、明日に向けて、作戦練らないとな。食べたら、取りかかろう」
「うん!」
そそくさとお昼を平らげると、私たちは明日の決戦に向けて策を練った。


そして、前日からの雨が降り続き、梅雨寒の月曜日。
約束通り7時に、優華さんと一之瀬様母子が姿を見せた。
今日は、宮部とふたりで出迎える。
「お足元の悪い中、ご足労いただきましてありがとうございます」
濡れた傘を預かり、接客コーナーへ。
さりげなく3人を観察すると、優華さんは、昨日の電話での様子よりは、元気そう。
それが、一之瀬様と一緒にいる安心感からなのか、一之瀬様のお母様と一緒にいる緊張感による空元気なのかは、わからないけれど。
一之瀬様は、さほど変わりなく見える。
雨に濡れた服を気にする優華さんを気遣う様子は、いつもどおり優しい。
一番問題がありそうなのは、一之瀬様のお母様。
ツンとした表情で、しぶしぶ来てやった、という風情を隠そうともしない。
お客様に対しては、常に礼儀正しく接しているつもりだけど、今日のお母様には、特に注意した方がよさそう……。

全員が席に着き、宮部が初対面の一之瀬様のお母様に名刺を渡してご挨拶したところで、さっそく本題に入る。
「先日は、私が至らぬばかりに、皆様にご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありませんでした。実は昨日、源様のお父様に謝罪してまいりました」
「えっ……」
声を上げたのは、優華さんだ。
そちらを見て、うなずく。
「宮部にも同行してもらい、条件付きではありますが、お父様にお許しいただくことができました」
「条件付き? 父はなんて……?」
身を乗り出した優華さんに、優しく微笑みかける。
「その条件についてお話する前に、皆様に聞いていただきたいことがあります」
3人の顔を見回し、最後に優華さんともう一度目を合わせた。
「優華さん、小学校の入学式の日のことを覚えていらっしゃいますか?」
「小学校の?」
けげんそうな表情の優華さんにうなずく。
「はい。お父様は、その日のことをよく覚えておいででした。優華さんはいかがですか?」
「えっと……、覚えていることもありますけど……」
優華さんは、口ごもり、そのあとの言葉を濁した。

あぁ、やっぱりな……。
宮部と作戦を練っていた時に、優華さんは、かつて自分の家が貧しかったことは、一之瀬様に知られたくないかもしれない、と相談した。
だって、両家の格が違うって、すごく気にしてたものね。
だから優華さん、入学式のときのこと、覚えてはいても、一之瀬様の前では言いたがらないかもって。
そこで、宮部と相談して、貧しくてきれいな服を買えなかったという事実は、言わないことに決めてあった。

「優華さん、初めてこちらにいらしたときに、バラが好きだとおっしゃってましたよね?」
「え? ええ……」
「小さい頃から、お母様がお庭でバラを育てているのを見て、好きになられたとか」
「はい」
「お父様は、そのことをよくご存知でした。小学校の入学式のとき、優華さんは、自分の大好きなバラの模様のワンピースを着ている子を見つけて、とてもうらやましがったそうです。お父様は、その姿を見て思ったのだそうです。いつか優華さんに、大好きなバラづくしのドレスを着せてやりたいと」
「そう、ですか……」
「お父様は、一人娘の優華さんに、バラのドレスを着て、世界で一番幸せな花嫁になってほしいと願っておられるんです。ただ……」
「ただ?」
訊いてきたのは、一之瀬様だ。
「ただ、優華さんが、自分に甘えてくれないことを、寂しく思っていらっしゃいます」
「甘えてくれない……?」
「はい。費用のことです。実は、これが、お父様の出された条件なのですが。優華さん、お父様は、ドレスやアクセサリー、ブーケにかかる費用は、自分が持ちたいとおっしゃられています。優華さんが、結婚準備のためにお金を貯めてきたことはご存知ですけれど、父親として、バラづくしの衣装を、自分が整えてやりたいのだと」
「でも……」
「費用さえ出させてくれれば、あとは、どんな衣装を選ぼうと構わない、披露宴のことにも一切口を出さないと約束してくださいました。ですから、この費用の条件だけ、飲んでいただけませんか?」
「…………」

優華さんは、唇を引き結んで、じっと考え込んでしまった。
どうしよう……。
ここまで言えば、優華さんもうなずいてくれるだろうって、宮部と話してたんだけど、私の説得では優華さんの心を動かすことは、できないのかな?
お父様のおっしゃっていたとおり、優華さんにも頑固なところがあるってこと?
それとも、私の話し方が下手だったせい?
これ以上は言うべき言葉が見つからなくて、宮部に助けを求めようとした、そのとき……。