6.父の想い ― 8

「こんにちは。ウェヌスハウス吉祥寺の葛西です」
「葛西さん……」
「お休みのところ申し訳ありません。今、少しお話してもよろしいですか?」
「はい……」
優華さんの声は、元気がない。
こんな声を出させている一因は自分にあるのだと思うと、申し訳なさで胸がいっぱいになる。
でも、今はこらえて、できるだけハキハキと声を出す。

「昨日は、私が至らないばかりに、本当に申し訳ありませんでした。実は、源様にお話したいことがありまして、近いうちに、もう一度お会いできないかと思いまして」
「私に話したいこと、ですか?」
「はい」
「それは、どういう?」
「えー、詳しいことは電話ではちょっと話しにくいので、できればお会いしてお話したいのですが……」
少し困りながらそう言うと、宮部はすかさず、電話のスピーカーボタンを押した。
これで、私と優華さんの会話は、宮部にも聞こえる。

「でも、婚約は白紙に戻ってしまいましたし……」
「ええ、そうですよね。でも、源様は、一之瀬様とのご結婚を、まだ望んでいらっしゃるんですよね?」
「それは、もちろん……」
「でしたら、是非、私の話を聞いてほしいんです。どうかお願いします」
受話器を耳にあてたまま、頭を下げると、優華さんは電話の向こうで小さくため息をもらした。
「葛西さんがそこまでおっしゃるなら……。で、私ひとりで伺えばいいんですか?」
「えーっと、それは……」

どうしよう?
とっさに宮部を見ると、デスクの上にあったメモに『できたら、一之瀬様と一之瀬様のお母様も一緒に』と走り書きして見せてきた。
えー、本当にそれで大丈夫なの? と目配せすると、ウンウンとうなずく。
そこで、その通り伝えることにする。
「もし、可能なようでしたら、一之瀬様と一之瀬様のお母様もご一緒にいらしていただけると助かるのですが」
「彼と彼のお母様も、ですか? 彼だけなら来てくれるでしょうけれど、お母様はどうかしら……。昨日も、婚約破棄、とはっきりおっしゃられてましたし……」
すると宮部が、替われ、とジェスチャーで伝えてきた。
「えーっと、源様、ちょっと、同僚の宮部からお話があるようなので、替わってもよろしいですか?」
「宮部さん?」
「はい、最初にこちらをご案内差し上げたときに、一緒に館内を回った……」
「あぁ、はい、あの方ですね。いいですけど」
源様の承諾を得て、宮部に受話器を渡す。

「源様、こんにちは、宮部です」
「あ、どうも」
宮部は明るい声で挨拶したけれど、優華さんの声は相変わらず暗い。
構わず宮部は続ける。
「昨日は、同席できず申し訳ありませんでした。あとで葛西から話を聞きまして、ふたりで知恵を絞り合い、源様のお父様も、一之瀬様のお母様も、そしてもちろん、ご結婚されるおふたり様にもご満足いただけるプランを考えてみたんです。それで、源様と一之瀬様のおふたりだけでも構わないんですが、一之瀬様のお母様にもぜひ直接お話できたら、と思いまして。その方が、うまく行きそうだ、となったときに、おふたりから再度一之瀬様のお母様にお話しいただく手間も省けますし」
「うーん、そうですか。じゃぁ、一応お誘いしてみますけど。あと、うちの両親はいいんですか?」
「はい。まずは、お三方でいらしていただいて、そこで、私どものご提案をお聞きいただき、それに了承いただけましたら、あらためて、源様のご両親にはお話させていただきたいんです」
「そうですか。わかりました。ただ、彼のお母様はいらしていただけないかもしれませんけど、その場合は彼とふたりでもいいですか?」
「はい、それはもちろんです」
「わかりました。では、彼に連絡してみて、お伺いする日を決めて、またご連絡します」
「かしこまりました」
「それじゃ……」
「ご連絡お待ちしております。失礼いたします」

受話器を置いた宮部に問いかける。
「一之瀬様のお母様も一緒で大丈夫?」
だけど宮部は、ニッコリ笑って私の不安を吹き飛ばす。
「っていうかむしろ、そっちも一緒に片づけちゃわないと、よけい面倒なことになるからさ」
「そうなの?」
「あぁ。今度はもちろん俺も同席するし、心配しなくてもうまくいくよ!」
「うん……」
策があるのか、宮部は自信満々だ。
宮部がそう言うなら、きっと、本当に大丈夫なんだろう。
ここは、宮部を信じてみよう。

「それより姫、腹減ったー! なんか食いに行こうぜ!」
「あぁ、そういえば、お昼、まだだったね」
「腹ごしらえしてから、作戦会議しよう!」
「うん、わかった」
一緒に立ち上がり、ランチをとりに出ることにした。
が、しかし。
オフィスを出ようとしたところで、佐藤マネージャーが戻ってくるのに、丁度出くわしてしまった。

「おっ、宮部君……、ちょっと話がある。会議室に行こうか」
「えっ、いや、俺、これからランチに行こうと……」
「いいから、来なさい!」
珍しく厳しい口調の佐藤マネージャーに、宮部は連れ去られてしまった。
あーぁ、きっと、源様のお宅に無断で行ったことを叱られるんだろうなぁ……。
可哀相だけど、こればっかりは、私にもどうにもならない。
せめて、コンビニでおにぎりかサンドイッチでも買ってきてあげよう。
私はふたり分の昼食を買いに出かけた。