6.父の想い ― 1

翌日曜日は、午後から雨の予報の曇り空。
梅雨はまだしばらく明けそうにない。
私と同じように、傘を持つ人の多い八王子駅の改札を出たところで、広いコンコースを見回した。
「宮部、まだ来てないのかな?」

昨夜遅くに帰っていった宮部が、帰り際に「明日の朝11時に八王子の改札な」って言ってたんだけど。
初めて下りた八王子駅は、想像以上に広い。
キョロキョロしていると、後ろから声がかかった。
「お待たせ」
「あ、おはよう!」
宮部の顔を見つけたとたん、顔がニヤけてしまう。
仕事で来たのに、こんなんじゃダメだ、と反省したとたん、宮部の手が背中に触れた。
ドキンと胸が高鳴る。しかし。
「あっち」
背中を押して歩き出した宮部に拍子抜けする。
なんだ、エスコートしてくれただけか。
がっかりしてるのを悟られないように、歩きながら、平静を装って訊く。
「宮部、源様の住所わかるの?」
「あぁ、昨日会社で見て暗記してきた。お客様カードの持ち出しは禁じられてるからな」
「えー、暗記したの? すごい! よく覚えられたね!」
「覚えやすい住所だったから。ネットで調べたら、バスでも行けるみたいだけど、手っ取り早くタクシーにしよう」
スタスタと歩いていく宮部について行くと、すぐにタクシー乗り場に出た。
並んでいた一台に乗り込み、宮部が住所を告げると、カーナビで調べた運転手さんが訊いてきた。
「源自動車部品の工場の近くですかね?」
「えぇ、そうだと思います」
うなずいた運転手さんが車を出してから、宮部に訊く。
「源自動車部品って、もしかして、源様のお父様の会社?」
「あぁ、たぶん。昨日調べたとき、地図で見たら、すぐ隣にあった」
「へぇ、そうなんだ……」

15分ほどで目的地に到着。
まだ比較的新しく見える二階建ての大きな家、それが源様の家だった。
家のはす向かいには、低い塀に囲まれた、白い大きな工場がある。
今日は休みらしく、門は閉ざされ、ひと気もない。
一方、源様の自宅は、門から玄関前まで、色とりどりの花を咲かせたプランターが置いてあり、華やかだ。
よく見れば、バラが何種類もある。
そういえば、源様、お母様がバラを育ててるって、おっしゃってたっけ。
ここからだとお庭は見えなったけど、そちらにもたくさん咲いているのだろう。
宮部と目を合わせてうなずき合い、門の前に立ってインターホンを押す。

――ピンポーン。
ドキドキしながら待っていると、すぐに応答があった。
「はい」
おそらくお母様だ。
「お休みの日に突然申し訳ありません。私、昨日お会いしました、ウェヌスハウス吉祥寺の葛西です。昨日のお詫びに参りました」
「あら! 少々お待ちください」
お母様は、すぐに玄関に現れ、門を開けてくれた。
宮部とともに、深く頭を下げる。
「まぁまぁ、わざわざお越しいただいて……」
「いえ、昨日は、私が至らないばかりに、本当に申し訳ありませんでした」
「いいえ、そんなこと……」
「今日は、直属の先輩と一緒に、お詫びに参りました」
後ろに控えている宮部を振り返って紹介しようとすると、お母様はさえぎるように言う。
「あ、でも、実は優華、昨日、帰ってすぐに、しばらく帰らないって言いおいて、お友達の家に行ってしまったんですよ。主人と顔を合わせるのが嫌みたいで……」
「そうでしたか。いえ、実は今日は、優華さんではなく、お父様にお会いしたくて参ったんです」
「え、主人に?」
お母様は目を見開いた。
「はい。昨日、私は、お父様のお話をよく聞きもせずに生意気なことを申し上げてしまったので、そのことをお詫びしたくて」
「まぁ、そうですか。でしたら、中へどうぞ」

お母様にうながされ、リビングに通される。
「ここで少しお待ちくださいね。今、主人を呼んできますから」
さすが、社長さんの家だけあって、私の実家のリビングとはスケールが違う。
40畳はあるかと思われる広い空間に、豪華なソファーセット。
でも、嫌みのない、洗練されたインテリアに囲まれていて、お母様のセンスの良さがうかがえる。
そこに、不機嫌さを隠そうともしないお父様が現れた。

宮部とともにすぐに立ち上がり、頭を下げる。
「昨日は、大変申し訳ありませんでした」
しかし、お父様は吐き捨てるように言い放つ。
「なんだ、詫びに来たというから、支店長でもを連れて来たのかと思えば、ねーちゃんと同じような若造じゃねーか」
「あ、あの……」
私をさえぎり、宮部が口を開く。
「若造で申し訳ありません。私、葛西の教育係をしております宮部と申します。葛西はまだプランナーとなって日が浅いため、葛西のフォローについているのですが、昨日は同席できず、大変失礼いたしました。葛西の過ちは、葛西を指導している私の過ちです。本当に申し訳ありませんでした」
堂々と頭を下げる宮部は、すごく頼もしく見える。
私の失敗なのに、自分のせいって言ってくれて……。
だけど、残念ながら、お父様に私たちの誠意は伝わらなかった。
「フン、話にならねぇ。帰れ帰れ!」
お父様は、そう捨て台詞を残し、リビングを出て行ってしまう。
そこへ、トレーにカップを載せたお母様がやってきた。
「ちょっとお父さん、そう言わないで、もう少しお話を……」
「うるさいっ!」
間に立ってくださったお母様を怒鳴りつけ、お父様は、ガチャンと大きな音を立てて玄関を出て行ってしまった。