5.接客トラブル発生 ― 9

意表を突いた質問に、宮部の顔をじっと見返す。
他に、どうすることができるの?
美里さんですら、ご両家の問題だから口ははさめないって、おっしゃってたのに……。
返事をできずにいると、宮部は手をのばしてきて、私の頬に触れた。

――ドキンッ。

ビックリして硬直する。
「ねぇ、さっきの涙はなんだったの、姫?」
囁くように訊いてくる宮部の声が甘くて、ますます鼓動が速くなる。
「え……」
「俺が会社に行ったとき。泣いたじゃん。あれ、どういう涙だったの?」
「あぁ、えっと……」
宮部は、あのときの涙を親指で拭うように、私の頬をなでる。
今はもう乾いている涙のあとを見ている宮部の眼差しは優しくて、頬をなでる指は温かくて、緊張していた心が、次第にほどけていく。
えっと、あのときの涙、あれは……。
「私ね、自分が情けなくて。それに、源様との約束を守れなくて、悔しくて、申し訳なくて。もし、私がもっと優秀なプランナーだったらとか、宮部が一緒だったらとか、最初から美里さんがひとりで接客していたらとか、いろいろ考えちゃって。で、そういうの、我慢してたんだけど、宮部の顔を見たとたん、なんか、いきなり涙があふれてきちゃって……って、キャァ!」
話している途中で、いきなり宮部に抱きつかれた。

「ちょっと、宮部!?」
「あー、もう、姫、かわいーな!」
「はい?」
「だって、俺の顔見て泣いちゃうって、それだけ俺に心を許してくれてるってことじゃん?」
「えっ!?」
「あー、もう、このまま押し倒しちゃいたいけど……、それはあとにして」
そこまで言って、宮部は私から離れる。
離れてくれたのはいいけど、『それはあとにして』って、どういう意味?
つっこみたいのをこらえていると、宮部はニヤリと笑って、話を戻した。

「姫は、源様のために、なんとかしたいんじゃないの?」
「あぁ、それはもちろん! できることなら」
「やっぱりね。そう言うと思った」
「え?」
「姫、『お客様第一』が体に染みついてるもんな」
「あぁ……」
『お客様第一』は、佐藤マネージャーがよく言っている、ブライダルプランナーの一番大事な心得だ。
でも、あんなに泣き崩れていた源様を見たら、誰だって、なんとかしてあげたいって思うに決まってる。
私が特別、『お客様第一』を体に染みつかせてるわけではないと思うんだけど。
そんなことを考えてたら、宮部が突拍子もないことを言いだした。

「ってことで、接客のやり直しをしよう!」
「は? やり直し?」
「そう。だって姫、なんにもできてないし」
「なんにも? って?」
「姫さ、ブライダルプランナーの接客で、一番大切なことってなんだかわかる?」
「接客で一番大切なこと? えーっと……」
「俺らが一番大切にしなきゃならないのは、聞くこと」
「聞くこと?」
「そう。お客様のご希望を十分聞くこと。聞かないことには、始まらないんだよ」
「聞く……か」
「そう。でも姫、源様のお父さんの話、なにも聞けてないよね?」
「お父様の話……」
「うん。源様のお父さん、衣装にお金をかけたいんだよね? でも、どんな衣装が良くて、そんなブーケが良くて、どんなヴェールが良いのか、なにも聞けてないでしょ?」
「でもそれは、ドレス担当とか、フローリストとか……」
「もちろん、そうだよ。最終的には、専門家と一緒に決めてもらう。でも、お客様にとって、うちの窓口は、俺たちプランナーなんだ。俺らがまず、ご希望を聞かなきゃ」
「あぁ、そっか……」

同じことを、まえに、まりあさんにも言われたっけ。
『お客様にとっては、『ウェヌスハウス吉祥寺』の窓口は、あくまでもプランナーである私たち』なんだって。
「でも、やり直すって、どうやって? 源様のお父様に、もう一度だけいらしてくださいってお願いするの?」
「それはムリだろうなぁ」
「じゃぁ、どうやって?」
「来ていただけないなら、行くしかないだろ?」
「行く!? 源様のお宅へ?」
そんな話、聞いたことない!
「そんな押し売りみたいなことしたら、怒られるんじゃない?」
「怒られるって、だれに?」
「だから、お父様に。あと、佐藤マネージャーにも」
「まぁ、お父さんに怒られるのは、覚悟しないといけないだろうね。一度はこちらの落ち度で怒らせちゃたんだから。でも、佐藤マネージャーの方は、話をつけてきたから大丈夫」
「え? 話をつけてきたって?」
「明日、行ってきますって、言ってきた」
「ウソ!?」
「ホント」
「でも、そんなの聞いたことないよ?」
「うん。俺も聞いたことないし、やったこともない。でも、許可は取った。ただし、俺も姫も有給休暇扱いにしてもらったけど」
「どういうこと?」
「つまり、俺らは個人的に源様宅を訪問するだけ。なにかあっても会社は関係ないってこと」
「だったら、やっぱりダメだよ。行けって言うなら、私がひとりで訪問する!」
「それはダメ。さっき言ったでしょ。親御さんと会うときは、誰か先輩に同席してもらうこと」
「うっ……」
宮部、ズルい……。
「はい、決まりね。じゃぁ、これで、仕事の話はおしまい!」
「えーーー! えっ、キャッ!」

不満の声を上げたはずなのに、私は悲鳴を上げていた。
だって。
「ちょっと宮部、なにしてんの!」
「ん? だってさー、もう俺、我慢の限界」
宮部は、私を後ろから、ぎゅっと抱きしめてきた。
そして、私の髪をよけ、うなじにキスしてくる。
「やっ、ちょっと!」
「あー、姫の匂い、落ち着くー」
「ヤダッ、宮部、ちょっと離れて!」
「ムリ。だって、やっと気持ちが通じたと思ったら、2日も会社休まなくちゃならなくなって、俺、姫が足りてないから」
「えぇっ? ちょっとなに言って……、やあぁんっ!」
文句を言おうとした声は、耳をペロリと舐められて、甘い嬌声に変わってしまった。