5.接客トラブル発生 ― 8

「こんばんはー! お邪魔しまーす!」
電話での不機嫌な様子はみじんもなく、笑顔で部屋に入ってくる。
「はい、牛丼! あったかいうちに食おうぜ」
「えっ、えっ、あの……」
「あー、話はあとで。腹減ったー。ほら、姫も立ってないで座って座って!」
宮部は自分の家のように、ドカッとくつろいで座り、買ってきたものをテーブルに並べだす。
「はい、姫はお酒弱いから、こっちね」
自分はビールを取り、私にはノンアルコールビールの缶をくれる。
ちゃんとプルタブを開けて渡してくれるところが、宮部らしい。
「ありがと」
「じゃ、かんぱーい!」
コツンと缶をぶつけて、ゴクゴクと喉を鳴らす。
「プハァー、うまい!」
さっさと牛丼にも箸をつける宮部につられるように、私も箸を取った。
「いただきます」
「ん、めしあがれ」
モグモグ食べながら、ニッコリ笑ってくれる宮部に癒される。
なかった食欲も、どこからか、わいてきた。
「あれ? 姫、紅ショウガ嫌い? いらないなら、ちょーだい」
苦手な紅ショウガをよけていると、手を伸ばして取ってくれる。
やっぱり宮部は優しいな……。
冷え切ってた胸の奥が、ふんわり温かくなる。

「あっ、そうだ、姫にもこれ。じいちゃんに、ありがと」
そう言って、香典返しの手提げをひとつくれた。
箸を置いて受け取る。
「このたびはご愁傷様でした。わざわざありがとう。でも、少ししか出してないのに、かえって申し訳ないことしちゃったね」
「いや、袋は立派だけど、中身はほんの気持ちだけだから気にしないで」
「うん……、そうだ、これ、ヘアメイクの人たちにも配った?」
「あぁ、行ってきたよ。アシスタントの子に、オフィスにいない人にも渡してもらうように頼んできた」
「そっか。大変だったね」
「いや。あ、もしかして、ヘアメイクの分を預かってくれたのって、姫?」
「うん。たまたまオフィスに持ってきてくれた時に、アシスタントの子に声かけられただけだけどね。持っていってくれたのは美里さんだし」

そこまで言って、アシスタントの子から聞いた話を、ふと思い出す。
美里さんと宮部の関係……。
でも、今は、そんな話を出す雰囲気じゃない。

「えーっと、お通夜と葬儀の会場、八王子の方だったっけ?」
訃報メールに書いてあった住所を思い出しながら訊くと。
「あぁ、じいちゃんの家が八王子なんだ。俺も小さい頃はよく行ってたよ」
「そう。お祖父様、ご病気だったの?」
「いや。ばあちゃんが朝起きたら、隣の寝床で眠るように死んでたって。前の日まではピンピンしてたらしいよ」
「へぇ、そんなこともあるんだね」
「まぁ、もう80過ぎてたし、苦しまずに逝けて幸せ者だって、ばあちゃん笑ってたよ」
「そう。でも、お通夜とかお葬式、大変だったんじゃない?」
「いや。俺は二日間とも、じいちゃんの昔なじみのジジイ連中にビールついで回ってただけだから」
「そっか。お疲れ様」
「いやぁ、ジジイたち、みんな元気でさ。話長いし、うるさくてまいったよ。ホント賑やかな通夜と葬式だったな」
「そっか」
宮部のことだから、たとえ酔ってからまれても、きっと愛想よく受け答えしてたんだろうな。
その様子が目に見えるようで、笑みがこぼれた。

「あー、うまかった! ごちそうさま!」
食べ終えた宮部に、お茶を淹れようとキッチンに立つ。
「あ、ゴメン宮部。緑茶切らしてるんだけど、食後、コーヒーでもいい?」
「あぁ、なんでもいいよ。サンキュー」
ふたり分のコーヒーを淹れて、テーブルに戻る。
「はい、どうぞ」
「ん、ありがと。さてと。じゃ、仕事の話、しますか」
その言葉を聞いて、居住まいを正した。

いよいよ本題。
宮部が来てくれたのも、これが目的のはず。
小さく深呼吸して、口を開く。
「はい。えっと、美里さんから、話は聞いた?」
『宮部君には、私から事情を話しておく』と言っていた、美里さんの言葉を思い出して訊いてみると。
「あぁ、聞いたけど、でも美里さん、最初から一緒に接客してたわけじゃないんでしょ?」
「うん。途中で、源様のお父様に、『上司を呼んで来い』って言われて、来てもらったの」
「だったら、最初から教えてもらいたいし、なにより俺は、姫の口から、ちゃんと話を聞きたい」
「うん」
「そもそも、今日、親御さん来る予定じゃなかったよね? その変更は事前に連絡あったの?」
「うん、昨日電話があって、ちょっと相談があるからって、源様が6時半にいらしたの」
「ひとりで?」
「うん、ひとりで。それでそのときに……」

親御さんたちも来ることになったこと、お父様が口出しして来るだろうから、それを阻止するよう協力してほしいと頼まれたこと、協力すると約束したこと、そして、今日の出来事もすべて、事細かに、宮部に話した。

「ふうん、なるほどね……」
腕組みして考え込んだ宮部を、黙って見つめる。
「まず、ひとつ、いい?」
「うん、なに?」
「昨日源様から、親御さんも一緒に来るって聞いた段階で、そのことを、まりあさんか佐藤マネージャーか誰かに相談した?」
「ううん、言ってない。源様が帰られてオフィスに戻ったら、まりあさんも佐藤マネージャーもいらっしゃらなかったし」
「今朝は?」
「今朝は、朝一での接客だったから、今朝も言ってない」
「それがダメ」
「ダメ?」
「そう。一之瀬様と源様は、すでに姫は面識があるし、おふたりは、俺らと年が近いだろ? だから、姫ひとりで接客しても問題ないけど、親御さんは姫ひとりで相手するには、まだ荷が重すぎるよ」
「そっか……」
「親御さんも来るって聞いた段階で、佐藤マネージャーに相談した方がよかったね。そしたら、たぶん、マネージャーかまりあさんが同席してくれたはず」
「うん」
「ましてや、そんな問題起こしそうなお父さんなら、なおさらだよ」
「はい……」
「今後、親御さん同伴の接客は、必ず誰か先輩と一緒に行うこと!」
「はい、わかりました」
「で、次」
「はい」
「姫は、この件、諦めるの?」
「え?」
「『婚約破棄だ! 契約もなしだ!』って源様のお父さんに言われて、『はい、そうですか』って、終わりにしちゃうつもり?」
「え……?」