5.接客トラブル発生 ― 2

そして、黙々と仕事を続け、午後6時過ぎ。
「やっとできたー!」
頼まれた修正をなんとか終えて、佐藤マネジャーの席に向かう。
「マネージャー、できました!」
「お、サンキュ。助かったよ」
「これ、大阪店の出店に関する資料だったんですね」
「うん。明日本社で会議があるんだけど、大阪もいよいよ来年早々にはオープンになりそうだよ」
「へぇ、まだまだ先だと思ってましたけど、もうそんな話になってるんですね」
「あぁ、急ピッチで話が進んでてね。最近はそっちの件でもいろいろ仕事が回ってきて、てんてこ舞いだよ」
そうぼやいて、佐藤マネージャーは薄くなった頭皮をなで、眉を曇らせる。
下っ端の私には、わからない苦労があるんだろうなぁ。
マネージャーをいたわるように微笑んで、申し出た。
「またなにかお手伝いできることがあれば、言いつけてください」
「あぁ、ありがとう」

一礼して席に戻ると、佐奈に呼ばれた。
「姫、受付に源様がいらっしゃってるって」
「えぇっ、もう?」
反射的に見た時計は、まだ6時15分。
約束は6時半だったよね?
そう思いながらも、慌てて支度して、受付に向かった。

受付に行くと、源様が会社帰りらしいベージュのスーツ姿で、所在無げに立っている。
「源様、お待たせしました!」
声をかけると、パッと笑顔を見せて駆け寄ってきてくれた。
「葛西さん! すみません、早目に着いちゃって」
「いえいえ、お気になさらないでください。どうぞこちらへ」
接客コーナーに案内し、テーブルをはさんで座る。
「えーっと、先日のお約束では、打ち合わせは明日でしたよね?」
確認のために訊くと、源様は申し訳なさそうに頭を下げる。
「ええ、そうです。それなのに、今日もお時間を取っていただいて、すみません」
「いえ、それは構わないんですが、今日はどういったご用件で?」
「はい、実は……」

源様は、そこでいったん言葉を切り、言いよどむ。
なんだろうと思いつつ、黙って待っていると。
「実は、明日、彼のお母様と、うちの両親も一緒に来ることになったんです」
「あぁ、そうなんですか? それは全然かまいませんよ?」
ご両親と一緒に打ち合わせに来るカップルは結構多い。
その程度のことなら、電話でもよかったのに。
そう思っていると、源様は眉をしかめて続けた。
「それが……、身内の恥をさらすようで言いにくいんですけど、うちと、彼の家とでは、なんというか、格が違って……」
「格、ですか?」
どういう意味だろうと首をかしげていると、私の疑問を察したように教えてくれる。
「彼の家は、お父様もお祖父様も東大を出られていて、彼の兄弟とか親戚の方もみな、早慶とか京大とかの出身で、とても優秀なんです」
「へぇぇ、すごいですねー」
素直に感心してそう言うと、源様はますます顔を曇らせる。
「そう、すごいんですよ。それに引き替え、うちの父は、今でこそ100人の社員を抱える会社の経営者ですけど、高校しか出てないですし、性格も荒っぽくて。それに、私自身も普通の女子大出身で、彼の家の方々とは釣り合わなんです」
「うーん、でも、結婚するのに学歴なんて、あまり関係ないんじゃないですか? 一之瀬様ご自身や、ご両家のご家族のみなさんも、おふたりのご結婚は了承してくださってるんですよね?」
「はい、それはまぁ、一応……」
「でしたら、なにも問題ないんじゃ?」
「それはそうなんですけど……」

そこでまた、源様はしばらくうつむいて、口を閉ざしてしまった。
どうやら、まだなにかある様子。
「源様。なにか心配ごとがおありなのでしたら、遠慮なく言ってください。私にできることでしたら、できる限りお力になりますから」
すると、源様は意を決したように顔を上げた。
「葛西さん。私、結婚式も披露宴も、できるだけ彼のお母様やあちらの親戚の方々に満足していただけるようにしたいんです。でも、うちの父が、なにかと口を出ししてきて困ってるんです。明日のことだって、彼のお母様がいらっしゃるって話したら、急に対抗意識を燃やして、だったらうちは、自分と母のふたりで行くって言い出して……」
「はぁ……」
「父は昔からワンマンな経営者で、なんでも自分の思うとおりに行かないと気に入らない人なんです。私、父のせいで、彼との結婚がうまく行かなくなりそうで、怖いんです」
なるほど。源様の心配のタネはそこか……。
「葛西さん、お願いです。明日、父がなにを言っても、取り合わないでくれませんか? もし父が、彼のお母様に反対するようなことを言い出したら、彼のお母様の意見に賛成してほしいんです。もちろん私自身も、彼のお母様の意見に賛成しますから」
「えーっと、でも、お父様が必ず反対されるとは限らないですよね?」
「いいえ! 父は、必ず反対するに決まってるんです。父は、優秀な彼のご家族に劣等感を持っていて、なんでもいいから主導権を握りたくて仕方ないんです」
「はぁ……」
「葛西さん、一生のお願いです。協力してください!」
そう言うと、源様はテーブルに額をつけんばかりに頭を下げた。
「わわっ、源様、頭を上げてください! わかりました。では、もしお父様が源様の意見に反対されるようなら『結婚式は新郎新婦おふたりの門出なので、おふたりの意見を尊重されては』というふうにアドバイスします。それでよろしいですか?」
「はい! ありがとうございます! 助かります!」

そこで、やっと源様は、晴れ晴れとした表情になった。
にこやかに帰られる源様を出口までお送りし、ほっとため息をついてオフィスに戻る。
あーぁ、なんだか明日の打ち合わせは、ひと波乱ありそうな気配。
宮部がいないのが、急に不安になってきた。
でも、源様の杞憂かもしれないし、なんとかなるよね?
オフィスの中は、今夜は閑散としている。
佐奈もまりあさんも美里さんも佐藤マネージャーも、もう帰ったようだ。
なんだか疲れちゃったから、私もさっさと帰るかな。
「お先に失礼しまーす」
まだ残っている先輩に声をかけ、手早く私服に着替えて、私は会社をあとにした。