28.愛する☆気持ち

ロビーに下りると、智裕はソファで雑誌を読んでいた。
「お待たせ」
そばに行って声をかけると、智裕は雑誌をラックに戻して立ち上がった。
「思ったより早かったな。もういいのか?」
「うん」
智裕は、あたしが抱えていたたくさんの荷物を持ってくれる。
「あ、ありがとう」
手ぶらになったあたしは、ブラックスーツ姿の智裕の全身を改めて見た。
さっきは舞台上で緊張してたし、突然現れた智裕に驚いてよく観察できなかったからね。
うーん、ふだんもかっこいいけど、今日は3割り増しでさらにカッコイイ!
あたしが見とれていると、先に立って歩き出した智裕が振り返って首をかしげる。
「どうかしたか?」
「ううん」
あたしは慌てて首を振り、歩き出した智裕のあとを追った。
後ろ姿も颯爽としててかっこいいなぁ。
あたし、この人の彼女なんだ。
そう思ったら、なんだかすごく幸せな気分になった。
今日は、人生最良の日かもしれない。
ウキウキしながら智裕の隣に並び、ニコニコ見上げるあたしを不思議そうに見る智裕を見つめ続けた。

その後、車で自宅まで送ってもらった。
荷物を部屋まで運んでもらい、あたしはコーヒーを淹れるためにキッチンへ。
智裕は上着を脱いでソファでくつろいでいる。
「あー、窮屈だったー」
タイを外し、礼装の襟元をはだけさせている。
うわぁ、なんか色っぽい……。
目のやり場に困って、あまり智裕を見ないように隣に座った。
すると、智裕があたしを見て言った。
「ドレス、しわになるんじゃない? 着替えたら?」
「うん……」
たしかにそのとおりなんだけど。
ワンルームなんだよね、うち。
着替え、丸見えになっちゃうからさ……。
すると、智裕はあたしのためらいを察したようで、笑い出した。
「別に遠慮するなよ。もう何度も見てるし?」
「いや、でも、それとこれとは別だから」
「ふうん、そんなもん? じゃ、目つぶっててやるよ」
そう言って、本当に目を閉じる。
あたしはそれを確認して、じゃあ、と立ち上がり、着替えを出しドレスを脱ぎ始めた。
「かりんさ」
声を出した智裕にビックリして顔を見たけど、ちゃんと目はつぶったままだ。
安心して着替えを続ける。
「なに?」
「ちゃんと話してなかったから、言っておこうと思うんだけど」
「うん」
改まって、なんだろう?
あたしは着替えの手を休めずに耳を傾ける。
「俺、離婚歴があるんだ」
ああ。
「大前さんから聞いたよ」
「うん。俺も、大前さんからかりんに話したって聞いた。でも、自分の口からもちゃんと言っておこうと思って」
相変わらず目を閉じたまま智裕は語りだした。

「社会人2年目、24歳の時に結婚して、9ヵ月後に離婚した。
相手は、大学時代から付き合ってた彼女。
彼女も短大卒業して仕事に就いてたんだけど、結婚と同時に辞めたんだ。
で、専業主婦になったんだけど、友達も趣味も少ない人でね。
俺も仕事仕事であまり構ってやれなくて。
浮気されちゃってさ。
妊娠したんだ」
えっ?
妊娠?
そこまでは聞いてない。
智裕は淡々と続ける。
「おなかの子が俺と浮気相手とどっちの子かわからなくてね。
彼女、精神的に不安定になっちゃって。
一人にしておけなくて、実家に帰したんだ。
そしたら、向こうでご両親に説得されて堕ろした。
で、ご両親から申し訳ない、離婚してくれって頭を下げられたんだ。
彼女は実家に帰った。
それ以降は音信不通。
彼女のお父さんは地方の有力者でね。
当時住んでいたマンションも向こうのご両親が用意してくれたもので、その部屋を慰謝料代わりに受け取らされた。
でも、そこに住み続ける気になれなくてすぐ引っ越しちゃったけどな」
「そう……」

そこで、智裕はいったん口をつぐんだ。
バツイチとは聞いてたけど、想像していた以上にいろいろあったんだ。
あたしは着替えを済ませ、ドレスをしまい、アクセサリーを片付け始めた。
「それ以来、しばらく女はこりごりって思って、2年半位彼女を作らないできた。
だけど、去年、11月に美沙子さんとあんなことになって。
美沙子さんに誘われたとき、俺の周りの女はみんな浮気性なのかって、かっとした。
美沙子さんが憎らしく思えた。
だからあえて誘いに乗った。
めちゃくちゃにしてやりたかった。
でも、彼女の方がうわてだったよ。
あんなことがあったのに平気で俺を婚約パーティーにも披露宴にも呼ぶんだからな。
俺は、浮気に加担した自分が情けなくなっただけだった」
「うん……」

あたしはすっかり着替えを済ませて、再び智裕の横に座った。
その気配で智裕は目を開けた。
あたしの方を見て、顔にかかった髪を優しくよけてくれる。
そしてそのまま、腕をあたしの肩に回した。

「あの頃かな。
かりんを好きだって自分の気持ちに気づいたのは。
だからよけいに美沙子さんを抱いた自分が許せなかった」
あたしは智裕にもたれかかり、端整な顔を見上げて話を聞き続けた。
「社員旅行で、マンガ家になる夢に向かって頑張りたいけど仕事と両立できなくて悩んでるって、かりんから聞いただろ?
一生懸命頑張ってる姿がいいなって思った。
それに、朝、目が覚めたら、かりん抱いて寝てて。
あれは驚いた。
まったく記憶なかったから。
でも、抱き心地良かったのは覚えてる」
ニヤリと笑って言うから、照れ笑いしながら胸をつついた。
智裕はそのあたしの手をそっと握り、チュッと口づける。
「そしたら、クリスマスイブに偶然会っただろ?
あれで、運命感じちゃってさ。
なんかあの日俺、すごくハイだった。
でも、それで、余計なことかりんに喋ったんだよな」
「余計なこと?」
「美沙子さんとのこと。
言うべきじゃなかった。あれで、かりん、俺のこと避け始めただろ?」
「ああ……」
避けたのは、智裕を嫌いになったからじゃなかったんだけどね。
弁解しようとしたけど、智裕が話を続けたので口をつぐむ。
「会社ですれ違ってもニコリともしないし、そうかと思ったら舜と仲良くランチなんか行ったりしてるし。
すごい妬けた。だから、強引に誘った」
ああ、あのバレンタインのちょっと前の……。
「かりん、のらりくらりかわしてたよな。新人賞のせいとか言って。
でも、俺もあの時はまだ告白するタイミングじゃないって思ってたから、それ以上は突っ込めなくて」
「うん」
「とりあえず、また挨拶はしてくれるようになったから、もう少し時間をかけて距離を縮めて行こうって思ってたんだけど、新歓で舜の暴露があって」
「うん」
「ショックじゃなかったって言ったら嘘になる。でも、過去は過去。それよりかりんを泣かした舜が許せなかった」
「うん……」
聞きながら、一つ一つ、その時々の映像がよみがえった。
「かっとして舜を殴って。でも後になって考えたら、ああ、俺、もう相当かりんに惚れてるなって実感した」
嬉しい……。
智裕を見つめると、智裕もあたしを見つめてくれる。
「かりんを俺が守りたいって思ったんだ」
智裕……。
そんなふうに思ってくれてたなんて。
「翌日、大前さんに呼び出されてうなぎ屋に行ったとき、かりんを見て最初に俺が思ったこと、何だったと思う?」
ん? なんだろう?
あたしが首をかしげていると、智裕は自嘲的に微笑んだ。
「今度は大前さんがライバルかよ?って」
「ええっ!?」
「一瞬、かりんが大前さんと付き合い始めたのかと誤解した」
「まさか!」
「ああ、今考えれば、それはないよなって思う。
でもあの時は一瞬そう考えたくらい、俺の頭の中はかりん一色だったってこと」
そんなこと言われたら、嬉しくて顔がにやけるのを止められない。
「本郷部長も本当はぶん殴ってやりたかった。
自分が会社組織の一員なのが、本当に悔しかったよ。
あの日、かりんを抱きしめて慰めてやりたかったけど、あの場で本郷部長から守ってやれなかった自分が情けなくて、できなかった」
「そっか……」
智裕、そんなふうに思ってたんだ。
「で、あの翌日、また大前さんに飲みに連れて行かれてさ。
俺のバツイチのことをかりんに話したって聞いた。
好きなら早く自分のものにしないと、誰かにさらわれてから泣いても知らんぞって、はっぱも掛けられた。
大前さんからはもう1年くらい前から、まだ若いんだから恋をしろって言われててさ。
すごくいい人なんだ。
俺も、ああいうリーダーになりたいと思ってる」
「うん」
あたしも大前さんはすごくいい人だと思うし、感謝してる。
大前さん、ありがとう。

ふいに智裕があたしの顔を覗き込んできた。
「かりん。
その時に、大前さんから、かりんが二股かけてたことをすごく後悔してるって聞いた。
そんな自分は恋をする資格もないって思ってるって。
俺は確かに、元の奥さんに浮気されたことがあって、二股をかける女は大嫌いだ。
でも、俺も婚約者がいる美沙子さんを抱いた。
俺も同罪だよ。
人は弱い。
誘惑に抗えないときもあると思う。
だから、かりん、そんなに気にしなくていい」
「うん、ありがと……」
「でも、これからはもうするなよ。俺ももう二度と、同じ過ちを犯さないって約束する」
「うん、あたしも。
もっと自分のこと大切にするし、もう二度と本気で愛してない人とそういうことしたりしないって誓ったの。
もう、智裕だけだから。
信じて許して欲しい」
あたしがそう言うと、智裕はくすっと笑った。
「許すとか許さないとか、そんなこと考えなくていい。ただ、これからは俺だけ見てろ」
「うん……」
智裕の気持ちが嬉しくて、涙があふれてきた。
ホントにホントに約束する。
もう、智裕だけだから……。
智裕は、そっとあたしの涙を指で拭いてくれた。
「俺さ、結婚してたときは、こんなふうに自分が思ってること話したりしなかった。
それもいけなかったんだと思うんだ。
浮気を責めたとき、元の奥さんに言われた。
あなたが考えていることがわからなかった、もっと自分の考えを話して欲しかったって。
で、その後も、女友達と付き合ってくなかで、女の人って言わないとダメなんだって気づいたんだ。
俺としては、黙ってても態度とかでわかるだろうって思ってたんだけど、どうもそうじゃないみたいだな、女性は」
「うん、それはそうだと思う」
「だからさ、かりんには、できるだけ話するように心掛けるよ。
ただ、できれば察して欲しいけどな」
苦笑いする智裕にあたしも笑みを返す。
「うん、努力する」
「そうやって歩み寄っていけば、これからどんな問題が起きても、二人で乗り越えていけるんじゃないかなって思うんだ」
「うん、そうだね」
「で、なんでこんな話をする気になったかって言うと、やっぱ、新郎新婦見て、当てられちゃったからかなと思うんだけどさ」
結構影響されやすいんだ。
なんか可愛いかも。
あたしが笑ったことに気づいた智裕は、キュッとあたしの鼻をつまんだ。
「く、苦しいよお」
あたしが抗議すると、にやりと笑って手を離した。
「俺を笑うなんて100年早い」
やっぱ俺様だ。
でも、そんな智裕も好きだけど。
そう思いながら智裕を見上げていると、智裕はあたしの唇を指でなぞった。
「かりん」
「ん?」
「夢を実現したかりんは、ホントすごいと思うよ。おめでとう」
あらためてそんなふうに言われると照れちゃう。
「ありがと。でも智裕のおかげだよ。
最初に夢の話をしてくれたのは智裕だし。
あの話聞かなかったら、あたし、マンガ家になる夢を実現させようなんて考えなかったと思うもの」
「そっか。
でも、かりん見てたら、俺も負けてられないって思うんだ。
自分の夢の実現のために頑張ろうって思える」
「それはあたしも一緒。
夢を追いかけてる智裕がかっこいいなって思って、そんな智裕に相応しい人間になりたいって思ったから頑張れたんだもん」
「そうか。お互いに影響しあってるんだな、俺たち。
そういう関係っていいよな。そんなふうに思える相手はかりんが初めてだよ」
「うん、あたしも」
「かりんはマンガ家としてデビューした。次は俺の番だな」
あたしはとっておきの秘密を教えるみたいに智裕の目を覗き込んだ。
「あのね、大前さんが言ってたよ。水野はあと2,3年したらいいリーダーになるって」
すると、智裕はクスリと笑った。
「あの人は褒めて育てるタイプなんだよ。それ、たぶんチームメンバー全員に言ってる」
「えーっ、そうなの?」
なーんだ、智裕を喜ばせようと思ったのに。
あたしが唇をとがらせていると、智裕が今度は唇をつまんだ。
「ぶー!」
顔をしかめてうなると、クスクス笑いながら指を離してくれた。
「でも、サンキュ。本当にそうなるように頑張るよ」
智裕は優しい笑顔で、でも目には真剣な決意を秘めてあたしを見ている。
前向きな智裕、大好き。
あたしは智裕の体に自分の腕を回し、抱きついた。
「あたしにできることがあったら、何でも手伝うから言ってね。
いっぱい応援するから。
智裕のためになら何でもしてあげたいって思ってるから」
心からそう思う。
その気持ちが伝われって、ぎゅっと両腕に力を入れて智裕を抱きしめる。
「かりん」
智裕は大きな手で、あたしの髪をなでてくれる。
「ありがとな。
でも、かりんだってまだデビューしたばかりでこれからが忙しくなるんだろ?
もしまた悩んだら、真っ先に俺に言えよ。
困ったことがあれば俺が助けてやる。
俺が守ってやるから」
「うん!」
嬉しい。
「智裕、大好き。愛してる」
思わずそうつぶやくと、智裕の唇が頭の上に触れた。
その唇が耳に、そして頬に下りてきて、最後にあたしの唇に触れる。

好き。
大好き。
愛してる。
唇から想いが伝わりますようにと、何度も何度も口付けた。
息が続かなくなって唇を離すと、智裕が囁いた。
「かりん」
「ん?」
「愛してる……」
嬉しい。
嬉しすぎて涙があふれてくる。
智裕……。

「かりん、ずっと一緒に生きて行こうな」

あたしはもう限界だった。
智裕の胸に顔をうずめて、声をあげて泣いた。
智裕と出会ってからの、いろんなことが頭をよぎった。
告白せずに智裕を諦めようとしていたこと。
仕事が忙しくてマンガを描く時間がなくて悩んだこと。
一度は賞に落選したこと。
でも、嫌なこと、辛かったこと、全部全部ひっくるめても、今の幸せな気持ちでおつりがくる。
大好き。
愛してる。
智裕は、そばにあったティッシュであたしの顔を拭いてくれ、笑いながらキスをくれた。
「こんなに泣かせるつもりはなかったんだけどな……」
うそ。
だって、智裕は意地悪だもん。
もうあたし知ってるもん。
プライベートモードの智裕は、会社にいるときと違ってすごく意地悪なんだから。
そう思ったら、なんだか笑えてきた。
意地悪な智裕を知ってることが嬉しい。
いっぱい幸せをくれる智裕にあたしもいっぱい幸せをあげたい。
あたしははだけた智裕の襟元を捕まえて、自分からキスをした。
あたしの最高のキス。


――ずっと一緒に生きて行こうね――



【End】