10.さらに☆イケメン

「あの、すみません、秋山さんは?」

月曜日の午後、デスクに座ったあたしの斜め後ろで、誰かが立ち止まり、声をかけてきた。
パソコンから顔を上げると、キラキラした目が印象的な、20代半ばと思われる男性が、あたしを見下ろしている。
誰だろう? 背が高くて、ちょっとカッコイイ人。
首から社員証をぶら下げてるから、うちの社員だろうけど、入社半年のあたしは、まだ他部署の人の顔まで覚えきれていない。

「えっと、秋山さんなら、今、会議で席を外されてますが……」
「何時頃終わるか、わかりますか?」
聞かれて、あたしは壁に掛けられた行動予定表を見上げる。
そこには、チーム全員の出欠と、席をはずしている場合は、行き先や戻り予定時間が書いてある。
秋山さんは、第3会議室で会議中。終了予定時間は3時。だけど、もうすでに、3時を10分以上過ぎている。
「もう予定の時刻を過ぎてますから、もうすぐ戻ってくるとは思いますけど、長引いているのかもしれません」
あたしがそう答えると、その人は、「そっか、じゃあ、どうしようかな……」とつぶやきながら腕を組んだ。
眉を寄せ、本当に困ってるみたい。
「あの、よろしければ、戻ってきたら連絡しましょうか?」
あたしがそう申し出ると、その人はパッと表情を明るくした。
「ホント? そうしてもらえると助かるなぁ」
「では、失礼ですが、部署名とお名前を教えていただけますか?」
引き出しから、メモを取り出しながら尋ねる。
「営業グループ第2チームの水野です。今度、ABCコーポレーションさんの件で、秋山さんとご一緒させて頂くんで、ご挨拶に……。えっと、君は?」
メモを取り終えたあたしは、顔を上げて水野さんと目を合わせ、自分も名乗った。
「桜井です」
「桜井、何さん?」
「は?」
えっ? 初対面で、名前も聞いてくるって、この人、まさか、社内でナンパ? この人、もしかしてチャラい?
そんな風に思って、警戒してたら、水野さんは慌てて取り繕うように言い添えた。
「あ、いや、桜井さんって総務にもいるからさ」
あ、そういうことね。あたしの早とちりだったみたい。照れ笑いしながら、答える。
「ああ、そうですね。私は、桜井かりんです」
すると、水野さんもホッとしたように、にっこり微笑んだ。
「かりんちゃんか。かわいい名前だね。じゃ、連絡、よろしく」
そう言って、水野さんは去って行った。

か、かわいい名前って……。
名前を褒められたことなんてあまりなくて、ちょっと顔が熱くなる。
で、でも、褒め上手な男の人って、ちょっと軽い感じ。やっぱり、水野さんって、第一印象どおり、チャラい人なのかな……。
そんなことを考えながら、水野さんの後ろ姿を見送っていると、隣の席の舜が、いつのまにか、あたしのすぐ横にチェアを寄せてきていて、肩をつついてきた。
「気をつけろよ」
「え?何が?」
「これ以上ライバルが増えたんじゃ、かなわねーよ」
「は?」
ライバル? 何のこと? 首を傾げてるあたしにかまわず、舜は低い声で続けた。
「いや、まぁいいや。今夜、空いてる?」
「え、うん、まぁ……」
「じゃ、この間タクシー拾ったところで」
「ん……わかった」
あたしがうなずくと、舜は満足したようにチェアのキャスターを転がして、自分の席に戻った。

あちゃー、また、約束しちゃった。なんかあたし、流されちゃってるなぁ。
でも、舜、チャンスをくれって言ってたし……。
でも、結局、先週、秋山さんともまたああいうことになっちゃったし……。
…………。
あー、だめだめ!
今は仕事中!!
あたしは舜や秋山さんのことを考えるのを強制的に終了し、頭を切り替えて、仕事を再開した。

しばらくすると、オフィスの向こうの方から、秋山さんが戻ってくるのが見えた。
あたしは受話器を取り上げ、水野さんに内線電話をかけた。
『あ、水野さんですか? システム開発グループの桜井です。秋山さん、戻ってこられました』
『あ、ありがとう。すぐ行きます』
あたしが受話器を置くのと、秋山さんが自分の席につくのが、ほぼ同時だった。そして、1分もしないうちに、水野さんはやってた。
通りすがりに、あたしと目が合った水野さんは、にっこり微笑んで、軽く手をあげてきた。あたしも会釈を返す。
そのまま水野さんは、秋山さんの席へ行き、自己紹介をはじめた。
あたしの席と、秋山さんのリーダー席は、3メートルほどの距離。その間には何も障害がないから、ふたりが話している声は、あたしのところまで聞こえてくる。
秋山さんも、水野さんを待っていたみたいで、にこやかに迎えている。
水野さんは、秋山さんの前に姿勢良く立ち、真剣な表情で仕事の話をはじめた。言葉遣いも礼儀正しい。

あれ? さっき軽い人って感じたのは、気のせいだったのかな?
秋山さんと話している水野さんは、軽いどころか、むしろすごく仕事熱心で、マジメそう。
なんとなく気になって、ふたりから目が離せない。
秋山さんは席を立ち、窓際の打ち合わせテーブルに水野さんを誘っている。
その時。
秋山さんが背を向けた瞬間、偶然、また水野さんと目が合った。すると、水野さんはちょっと驚いたように目を開き、次の瞬間、またニコッと微笑みかけてきた。
うわっ、や、やだ……、あたし、ずっと水野さんを見てたみたいに思われたかも。
いや、実際見てたんだけど……。
あぁ、なんか、顔に血がのぼってきちゃった。どうしよう、恥ずかしい。あたしは慌ててうつむき、とっさにパソコンで顔を隠す。
あー、でももうきっと、いまさらだよね……。
すると、隣の舜が席を立ち、肩をたたいてきた。
えっ、なに?
顔を上げると、舜が耳元で囁く。
「かりん、コーヒー奢るからちょっと来て」
「あ、うん……」
あたしは、水野さんの方を見ないようにして席を立ち、先をいく舜のあとを追う。
でも、視界の隅で、水野さんがこっちを見ているのを感じていた。

フロアを抜け、自動販売機の並ぶエリアに出ると、舜が缶コーヒーを取り出したところ。
「ほら」
「あ、ありがと」
あたしは缶を受け取り、プルタブを開けて、コーヒーを一口飲んだ。
「あーあ、なんか参るよなぁ」
舜が、自動販売機に寄りかかって独り言のように呟く。
あたしが舜の顔を見ると、舜は目を合わせてきた。
「かりん、モテ過ぎだろ?」
「な、なに言ってるのよ! モテるのは舜の方でしょう?」
ドキドキしながら反論する。
舜は斜めにあたしを見下ろして、すぐにプイと目を逸らした。
「さっきのヤツの視線、気付いてたろ? かりんだって、気付いたからアイツのこと見てたんだろ?」
う、図星……。
でも、べつに水野さんは、あたしが好きとかいうんじゃないと思うよ。
ただ、よその部署の女の子が物珍しかったとか、その程度なんじゃないかな。うちの会社、女子、少ないし。
そんな風に、心の中でいいわけを考えてたら、舜が聞いてきた。
「なぁ、ああいうのも好きな訳?」
「え、そんな! 今日初めて会ったばかりの人を、好きも嫌いもないよ……」
そうよ、まだ会ったばっかじゃん。それなのに、そんな。ただ、ちょっと、気になったから、見てただけだもん……。
「フーン……」
舜は、ジロリと横目であたしを見てる。
う、舜の目、なんかこわい……。
「ならいいけど。それより、今夜の約束、忘れるなよ」
「うん」
そのとき、他部署の人が近づいてきたので、あたし達はデスクに戻ることにした。

あたし達が戻ると、もう水野さんの姿はなく、あたしはほっとして席に着いた。
ハァ……。なんか、どっと疲れちゃった。
舜と秋山さんだけでも手一杯なのに、さらに水野さんもとか、ぜーったい無理だから!
あたし、しっかりしろ!

あたしは首と肩をぐるぐる回して、水野さんのことを頭から追いやり、気持ちを新たにして、仕事を再開した。