6.父の想い ― 3
お父様は、ゆったりとタバコを吸いながら、景色を見下ろしている。
見晴らし台のすぐ下には、源様の自動車部品工場が見えている。
その向こうもかなり遠くまでよく見えるけれど、あいにくの曇り空のせいか、ほかに人はいない。
ゆっくり近づいていって、ベンチの横で立ち止まり、宮部が声をかける。
「立派な工場ですね」
お父様は、私たちを認めたとたんに顔をゆがめた。
「なんでここがわかった?」
「お母様から、ここにいるんじゃないかと伺いまして」
「チッ、余計なことを言いやがって!」
「お母様を叱らないでください。私が無理やり聞きだしたんです」
「フンッ」
そっぽを向いてしまったお父様に、宮部は気にせず話しかける。
「駅前はずいぶん変わっちゃいましたけど、このあたりは昔と変わりませんね」
意外な言葉だったのか、お父様は宮部の顔を見あげた。
「ん? おまえ、この辺に住んでたのか?」
私も同じ疑問を持って宮部を見ると、宮部はお父様に笑顔を向ける。
「いえ、住んではいないんですが、祖父の家が隣町なんです。それで、小さい頃は、よく遊びに来てました」
あぁ、そういえば、お葬式の会場、八王子だったっけ。
私が迷いそうになっていた広い八王子駅のコンコースでも、宮部はスタスタ歩いてタクシー乗り場に連れて行ってくれたし、土地勘があるんだね。
納得していると、お父様はまた向こうを向いてしまう。
「フン、そういうことか」
興味を失った様子のお父様に構わず、宮部は続ける。
「源様の工場は、自動車部品の工場なのだそうですね。私の祖父は、板金屋だったんですよ」
「板金屋? 車のか?」
思わず問い返したお父様に、宮部はうなずく。
あれ、板金屋って……、なんだっけ?
聞いたことはあるんだけどな。
でも、わからないのは私だけのようで、ふたりの話はよどみなく続いていく。
「はい。結構評判のいい板金屋で、いつも忙しく働いていました。小さかった私には、車をピカピカにしていく祖父は、憧れの的でした」
あぁそうか、車の傷やへこみを直すのが、板金屋さんだ。
ひとりうなずいて、ふたりの話を黙ってを聞く。
同じ自動車の仕事に興味を引かれた様子のお父様が、宮部に訊く。
「今もまだ現役でやってんのか?」
「いえ。もう10年ほど前に引退して、継ぐ人間もいなくて、それっきりです」
「そうか残念だな。腕のいい職人はどんどん減ってる。じいさんは元気なのか?」
すっかり宮部のペースにはまったお父様に、宮部は微笑んで答える。
「いえ、3日前に亡くなりました」
「えっ?」
私は知っていたことだけど、お父様はひどく驚いている。
そりゃそうだよね、よりによって、3日前だもの。
宮部は淡々と続ける。
「昨日が葬式だったんですが、80過ぎての大往生で、前日まで元気だったのが、朝、祖母が起きたら、隣の寝床で死んでたっていう、安らかな死だったんで、明るい葬式でした。昔なじみの人たちがにぎやかに飲んでくれましたし」
昨日私が聞いたのと同じ話をした宮部だったけれど、お父様は宮部の顔を見て、苦々しそうにタバコをもみ消す。
「なにがにぎやかで明るい葬式だ! そんな悲しそうな顔で言われても、説得力ねーよ!」
えっ、悲しそうな顏?
宮部、微笑んでいたと思ったんだけど?
そう思って、改めて宮部の顔を見たら……、お父さんの言うとおり、目に涙をためている。
宮部……?
ビックリしていると。
「あー、すいません。板金屋だった頃のじいちゃん思い出したら、つい……。子どもの頃、自宅の隣にあった仕事場に『じいちゃん!』って入っていくと『危ないから来るんじゃねぇ!』っていつも叱られてたんですよね、俺」
そう言って、指で涙をぬぐう。
そっか、そんなことがあったんだ……。
小さい宮部が、ニコニコしながら、大好きなおじいちゃんに駆け寄っていく姿が目に浮かぶ。
小さい頃から宮部は可愛かっただろうな。
それで、おじいさんはきっと、職人気質の厳しい人で。
でもきっと、孫の宮部をとっても可愛がってて……。
昔のことを思い出して、グッときちゃったんだろうな、宮部。
私なんて、話を聞いて想像しただけで、泣いちゃいそうだよ。
宮部は、照れくさそうに、泣き笑いの顔になる。
「おかしいな。通夜でも葬式でも、ポックリ逝ってよかった、なんて笑い合ってたくらいで、涙なんて出なかったのに」
すると、お父様は鼻を鳴らした。
「ばかやろう! 悲しい時には泣くもんだ!」
怒鳴ってるけど、お父様の声には優しさがにじんでいる。
見た目は怖いけど、本当は愛情深い人なのかも。
「ヘヘッ、すいません、こんな話しに来たんじゃないのに……」
宮部が頭を掻くと、お父様は、また新しタバコに火をつけた。
「いいよ。優華も小さい頃はよく仕事場に来て、俺も『危ないから来るな!』って、怒鳴ったもんだ」
「そうですか……」
へぇ、優華さんも同じだったんだ。
優華さんも可愛い女の子だったろうなぁ。
一人娘の優華さんを、お父様は、きっと溺愛していたんだろうな……。
しんみりしてしまった空気を破って、今度は私がお父様に話しかけた。
「あの、お母様に、優華さんの小さい頃の話も聞きました。経済的に余裕がなくて、晴れ着を買ってやれなかったって」
すると、お父様は私を見て、眉をひそめる。
「またあいつは余計なことを……」
わわわ、大失敗!
せっかく宮部がお父様の気持ちをほぐしてくれたのに、また嫌われるようなこと言っちゃった!
あー、もう、私ったら、台無しにしちゃって……、どうしよう。
そう思っていたら。